ヒルサイドテラスは、東京都渋谷区猿楽町・鉢山町に位置する複合施設であり、集合住宅、店舗、オフィスなどが集まる魅力的なエリアです。この施設は、渋谷の旧山手通り沿いに広がり、多様な建物が集まっています。
ヒルサイドテラスの設計は、日本を代表する建築家である槇文彦氏(アネックス部分は元倉眞琴氏が設計)によって行われ、その代表作の一つとされています。1969年に第1期が竣工して以来、約30年間にわたり段階的に建設され、1998年にすべての建設が完了しました。また、D・E棟に隣接する駐日デンマーク大使館(1979年竣工)も槇氏の手によるものです。
ヒルサイドテラスは、その建築的価値が高く評価され、2000年には日本建築家協会の第3回25年賞を受賞しています。また、2003年には第1期部分が、2017年には第2期以降がDOCOMOMO JAPANによって「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」として選定されました。さらに、2020年度にはグッドデザイン賞も受賞しています。
ヒルサイドテラスのオーナーである朝倉家は、その歴史を遡ると、甲州武田家に仕えた武士に由来します。後に帰農し、渋谷に居住するようになりました。江戸時代の末期には、三田用水を利用した水車を所有しており、朝倉徳次郎は、この水車を活用した米の賃搗きの収益で渋谷周辺の土地を買い集め、大地主としての地位を確立しました。明治時代には精米業を営み、その成功によってさらなる繁栄を築きました。
しかし、第二次世界大戦後、朝倉家は所有していた土地の大部分を失うことになりました。さらに、相続税の支払いのために、本宅(重要文化財・旧朝倉家住宅)も売却を余儀なくされました。残された旧山手通り沿いの土地を有効活用するため、朝倉家は不動産経営を考案し、先代の朝倉誠一郎および当代の朝倉徳道が慶應義塾大学出身であったことから、同じく慶應義塾大学出身の建築家、槇文彦氏に協力を依頼しました。こうして、1967年に「代官山集合住宅計画」が立案され、ヒルサイドテラスの計画が始まりました。
当時、この地域は第1種住居専用地区に指定されており、商業施設の建設は制限されていましたが、槇氏はヒルサイドテラスA・B棟の建設にあたり、行政との交渉を重ね、用途規制の緩和を実現しました。これにより、現在のように住居と店舗が共存する魅力的な複合施設が誕生したのです。
ヒルサイドテラスは、各建物やテナントの魅力だけでなく、周辺地域との調和も意識された設計となっています。槇文彦氏が手掛けたこの複合施設は、代官山のシンボルともいえる存在であり、今も多くの人々に愛され続けています。
ヒルサイドテラスのD・E棟に隣接する駐日デンマーク大使館も、槇氏の設計によるもので、1979年に竣工しました。この大使館もまた、建築的価値が高く評価されています。
ヒルサイドテラスの最終段階である第7期(1998年)には、ヒルサイドウエストが建設され、施設全体が完成しました。このエリアも、他の棟同様に槇氏のデザインの特徴を継承しつつ、新たな魅力を加えています。
ヒルサイドテラスの歴史的背景として重要なのが、旧朝倉家住宅です。重要文化財に指定されているこの住宅は、かつて朝倉家の本宅として使用されていました。現在では、保存状態も良く、多くの訪問者がその歴史と美を楽しんでいます。