両国橋は、東京都の隅田川に架かる橋で、国道14号(靖国通り・京葉道路)を通します。西岸の東京都中央区東日本橋二丁目と東岸の墨田区両国一丁目を結んでいます。橋のすぐ近くには神田川と隅田川の合流点があり、その立地からも重要な交通の要所となっています。
1686年(貞享3年)に国境が変更されるまでは、両国橋は武蔵国と下総国の境界に位置していました。このことから「両国橋」と名付けられました。
両国橋の創架年には1659年(万治2年)説と1661年(寛文元年)説の2つがあります。江戸時代には、千住大橋に続いて隅田川に架けられた2番目の橋であり、当初は「大橋」と名付けられていました。しかし、西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていたため、俗に「両国橋」と呼ばれるようになり、1693年(元禄6年)に新大橋が架橋されると正式名称となりました。
江戸幕府は防備の観点から隅田川への架橋を制限していましたが、1657年(明暦3年)の大火により、多くの市民が逃げ場を失い、多数の死傷者が出たことを受けて、橋の架設が決定されました。両国橋の架設により、市街地の拡大が進んだ本所・深川方面の発展に寄与し、橋自体も防火・防災の役割を果たすようになりました。
現在の両国橋は、1932年(昭和7年)5月18日に竣工されました。当時、言問橋や天満橋と共に「三大ゲルバー橋」として知られ、当時の最先端技術を駆使して建設されました。親柱と橋燈のデザインは、他に類を見ない独特なもので、直方体の親柱の上に球体の橋燈が載っています。
歩道部には土俵をデザインした円形のバルコニーがあり、ガードレールには軍配や花火の装飾が施されています。また、柱部には両国国技館の屋根を模した飾りも配置され、デザイン面でも工夫が凝らされています。これらの装飾は、いずれも改修時に追加されたものです。
両国橋は、幾度も流出や損傷を繰り返し、1875年(明治8年)に最後の木橋として架け替えられました。しかし、1897年(明治30年)の花火大会の最中に群衆が押し寄せたことで欄干が崩落し、死傷者が出る事故が発生しました。この事故を機に、現在の鉄橋へと再建が行われました。
1904年(明治37年)に完成した鉄橋は、長さ164.5m、幅24.5mで、設計は原龍太が担当しました。この橋は関東大震災での大きな損傷を免れましたが、震災後に現在の橋に架け替えられました。取り外された橋名板は東京都復興記念館に保存されています。
2008年(平成20年)3月28日、両国橋は言問橋と共に東京都の歴史的建造物に選定されました。2021年度からは国道14号の拡幅に伴い、橋の拡幅または架け替えの検討が始まりました。歴史的価値を維持するため、拡幅に際しては架け替えを行わず、床版取り換えによる軽量化と両側に自転車道を設置する計画が進められています。
最後の架け替えの際、旧両国橋の3連トラスのうち1連が再利用され、隅田川との合流地点にある南高橋となりました。南高橋は現在も利用されている最も古い自動車橋であり、その歴史的価値が評価されています。
歴史を重ねてきた両国橋は、東京都の重要な文化遺産としてこれからも守られ続けるでしょう。