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雲松山 泉龍寺

(うんしょうざん せんりゅうじ)

泉龍寺は、東京都狛江市元和泉にある曹洞宗の寺院で、「雲松山」という山号を持っています。狛江市内の寺院の中では最も規模が大きく、狛江市を代表する寺院として知られています。寺院の南東には「狛江弁財天池特別緑地保全地区」があり、弁財天池という池が存在しています。この池は伝説によれば、奈良東大寺の開山で知られる良弁僧正による雨乞いによって湧き出た霊泉とされています。

本尊と曹洞宗

泉龍寺の本尊は釈迦如来で、曹洞宗に属しています。曹洞宗は禅宗の一派で、大本山は福井県の永平寺と神奈川県の総持寺です。寺院は小田急線狛江駅の北口から徒歩でアクセスでき、駅からほど近い場所にあります。寺院の周囲には緑豊かな自然が広がり、狛江弁財天池特別緑地保全地区の一角としても親しまれています。

泉龍寺の歴史

泉龍寺の歴史は古く、天平神護元年(765年)に遡ります。奈良東大寺の開山である良弁僧正がこの地に訪れ、雨乞いを行ったことがきっかけで、泉龍寺が創建されました。創建当初は法相宗と華厳宗を兼帯する寺院でしたが、平安時代には天台宗に改宗され、その後、戦国時代には現在の曹洞宗に転じました。

中興開基と石谷清定

泉龍寺は一時衰退しましたが、1591年(天正19年)、徳川家康の家臣であった石谷清定によって再興されました。石谷清定は当地に所領を与えられ、泉龍寺を旗本石谷家の菩提寺とし、寺の復興に努めました。清定は寺域の整備を行い、弁財天像をまつり、寺を再興させたため、彼は泉龍寺の中興開基とされています。

学校と村役場の歴史

明治維新後、泉龍寺の境内は縮小されましたが、地域社会との深い関わりがありました。明治5年(1872年)には、学制の施行により旧6ヶ村が協力して公立観聚学舎を設立し、泉龍寺の建物が仮校舎として使用されました。また、明治22年(1889年)には、町村制施行により、狛江村が成立しました。この時、泉龍寺の境内には狛江村の役場が置かれ、村の中心的な場所として機能しました。

泉龍寺の特徴

二層式鐘楼

泉龍寺の象徴的な建造物の一つに、二層式の鐘楼があります。狛江駅の北口から出て、緑豊かな森を進むと、鐘楼が見え隠れします。この鐘楼は泉龍寺の歴史を感じさせる貴重な建造物です。

弁財天池と霊泉

境内の南東には霊泉として知られる弁財天池があります。この池は、良弁僧正が雨乞いを行った際に湧き出たと伝えられ、昭和初期まで大干魃の際には地元住民が池で雨乞いを行うと、霊験があったとされています。また、この池の湧水は周辺の水田を潤し、昭和30年代まで狛江の農業に貢献していました。

泉龍寺の文化財

経塚古墳

泉龍寺の境内には、経塚古墳も存在しています。この古墳は5世紀後半に築造されたもので、12世紀から16世紀にかけての墳墓でもありました。伝承では良弁僧正の墓ともされていますが、現在は文化財として保存されています。

本堂と再建の歴史

泉龍寺の本堂は、宝永3年(1706年)に再建されました。これは狛江市内で最も古い建造物とされています。1960年から1961年にかけて、茅葺きの屋根が瓦葺きに改修され、現在の形になっています。

泉龍寺の祈願と信仰

子安地蔵

泉龍寺には、子安地蔵尊が安置されています。この地蔵尊は18世紀頃に安置され、子授け、安産、子育ての祈願を応える存在として信仰を集めてきました。江戸市中や周辺の地域からも信仰を集め、多くの人々が祈願のために訪れました。

交通アクセス

泉龍寺へのアクセスは非常に便利です。小田急小田原線狛江駅から徒歩わずか2分の場所に位置しており、気軽に訪れることができます。狛江市の歴史と自然に触れられる場所として、多くの人々に親しまれています。

Information

名称
雲松山 泉龍寺
(うんしょうざん せんりゅうじ)

府中・調布

東京都