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医王寺(そば寺)

(いおうじ)

医王寺は、東京都葛飾区に位置する真言宗豊山派の寺院です。山号は薬王山、院号は瑠璃光院です。この寺院は、古くから地元の人々に親しまれてきた歴史と伝統を持ち、蕎麦にまつわる特別なエピソードでも知られています。

寺院の概要

医王寺は、東京都葛飾区の静かな住宅街に佇む寺院で、その歴史は長く、地元の文化や信仰に深く根ざしています。もともとは「薬王寺」という名称で知られていましたが、時を経て現在の「医王寺」と改名されました。

歴史

創建と初期の歴史

医王寺の歴史は、1407年(応永14年)にまで遡ります。この年、観賢法印という僧によって寺院が開山され、「薬王寺」として知られるようになりました。しかし、その後の国府台合戦における兵火で寺院は荒廃してしまいます。

中興の歴史と寺名の改称

1538年(天文7年)の国府台合戦が終結した後、真言宗の僧・源珍(げんしん)が寺院を再建しました。源珍の尽力により、寺院は再び息を吹き返しましたが、彼の死後、再び荒廃することとなりました。その後、寛永年間(1624年-1645年)に、近くの金蓮院の僧が寺院を再び中興し、この際に「医王寺」と改称されました。

移転と現在の地

医王寺はもともと江戸川のすぐ近くに位置していましたが、1915年(大正4年)に現在の場所に移転しました。移転後も地元の信仰の中心としての役割を果たし続けています。

中興・源珍と蕎麦の関係

源珍と蕎麦の由来

源珍(げんしん、寛正6年(1465年)-弘治3年(1557年))は真言宗の僧侶で、25歳の時に高野山に入山しました。1521年(大永元年)に高野山で大火が発生し、その復興のために源珍は全国を行脚することになります。その行脚中、山中で脚気に苦しみ動けなくなっていたところを村人に助けられ、恵比寿天像と蕎麦粉の寄進を受けました。

源珍はその蕎麦を食し、21日間にわたって恵比寿天に礼拝を続けたところ、身体が回復しました。この出来事に感銘を受けた源珍は、行脚の再開後、各地で農民に蕎麦の栽培を奨励し、商人には蕎麦の流通を促しました。

「そば寺」としての医王寺

源珍が当寺に定住して以降、医王寺は「そば寺」として知られるようになり、特に蕎麦店の信仰を集めました。これは、源珍が蕎麦の普及に尽力したことに由来しています。現在も、当寺には源珍を模したとされる地蔵菩薩像「そば地蔵尊」が安置されており、多くの蕎麦店関係者が参拝に訪れています。

蕎麦店と「えびす講」の伝統

戦前から昭和40年代にかけて、蕎麦店が結成した「えびす講」が盛んに行われていました。特に正月や縁日には、蕎麦が無料で振る舞われ、多くの人々が集いました。この伝統は、現在も地元の文化の一部として語り継がれています。

交通アクセス

医王寺へは、新柴又駅から徒歩2分という便利な立地にあります。訪れる際には、地元の歴史や文化に触れる機会として、是非立ち寄ってみてください。

Information

名称
医王寺(そば寺)
(いおうじ)

葛飾区

東京都