石浜神社は、東京都荒川区南千住三丁目に位置する由緒ある神社です。隅田川の西岸に位置し、かつて「石浜」と呼ばれた長く伸びる微高地の上にあります。その創建は724年(神亀元年)に遡り、神社は長い歴史の中で多くの崇敬を集めてきました。
石浜神社は724年、聖武天皇の勅願によって鎮座されました。中世には源頼朝が奥州征討の際に戦勝祈願を行い、また鎌倉幕府7代将軍・惟康親王が元寇の際に戦勝祈願を行ったことが記録されています。これらの戦役に勝利したことから、関東武士をはじめ多くの人々の崇敬を集めるようになりました。
鎌倉・南北朝時代から安土桃山時代にかけて、この地域には石浜城が存在しました。当社付近は城跡の候補地の一つとされており、東京都の遺跡地図上では、当社北側が埋蔵文化財包蔵地となっています。
石浜神社は、神社としては珍しく神道式霊園「石浜霊園」を経営しており、神道に基づく葬儀を行うことができます。これは、神道の伝統を守り続ける神社として、現代においても重要な役割を果たしています。
文治5年(1189年)には源頼朝による社殿の寄進が行われ、また弘安4年(1281年)には蒙古襲来の際に官幣が奉納されるなど、中世初めには大社としての発展を遂げました。特に千葉氏や宇都宮氏などの関東武将の信仰が厚く、関八州から多くの参詣者を集めました。
石浜神社は東に隅田川、西に霊峰富士、北に名山筑波という名勝に恵まれ、江戸時代にはさらなる繁栄を見せました。『江戸名所図会』にもその姿が描かれ、「神明さん」として市民に広く親しまれる存在となりました。明治5年(1872年)には郷社に格付けされ、現在に至るまでそのご神徳は輝きを増しています。
石浜神社のご祭神は以下の通りです。
石浜神社の境内には多くの摂末社が存在し、それぞれに独自のご祭神が祀られています。
江戸神社のご祭神は天照大神の弟神、素戔雄尊(すさのおのみこと)です。もとは天文年間(1532~1554)に江戸太郎重長が勧請した牛頭天王社であり、その後、江戸神社と称されました。
北野神社のご祭神は菅原道真公です。明和4年(1767年)に菅公の末裔である高辻大納言の勧請により創建されました。吉原の代表行事「にわか」踊りは、この神社の梅祭りに由来すると言われています。
妙義八幡神社には、日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと)の二柱が祀られています。鎮座年代は不詳です。
石浜神社の境内には多くの石碑が存在しています。
石浜神社へのアクセスは、南千住駅から徒歩10分です。