東京都 » 東京都内(23区) » 日暮里・北千住

新堀(日暮里)・谷中の総鎮守 諏方神社

(しんぼり にっぽり やなか すわ じんじゃ)

諏方神社は、東京都荒川区に位置する歴史ある神社です。地域の総鎮守として、新堀(日暮里)・谷中の人々に親しまれており、諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社のひとつです。毎年8月に行われる例祭では、境内や周辺の道路に数多くの露店が立ち並び、多くの参拝者で賑わいます。特に3年に一度の御神幸祭では、本社神輿が町内を渡御するという大規模な祭事が行われ、地域の伝統を色濃く反映しています。

創建と歴史

諏方神社は、1202年(元久2年)に創建されました。その創建者は豊島経泰であり、諏訪大社からの勧請によって創立されました。文安年間(1444年~1499年)には、戦国大名の太田道灌から社領の寄進を受け、江戸時代には徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられるなど、幕府からもその存在が認められていました。社殿はもともと山の麓にありましたが、寛永12年(1635年)に山上が開削された際、現在の場所に遷座しました。

江戸時代の崇敬と奉納物

江戸時代、諏方神社は谷中町や日暮里村の総鎮守として広く崇敬されていました。地域の町火消である「れ組」によって奉納された鳥居や狛犬が現在も境内に残っており、その時代の風情を感じさせます。特に「れ組」は、地域の安全を守る消防組織として大きな役割を果たし、その活動の一環として神社への奉納が行われていたと考えられます。

明治以降の発展と戦後の復興

明治時代になると、諏方神社は旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、ますます篤く崇敬されるようになりました。しかし、昭和20年(1945年)3月の空襲で大きな被害を受けましたが、昭和27年(1952年)には復興を遂げ、再び地域の守護神としての役割を果たすようになりました。

社名の由来

諏方神社は諏訪神社の分社ではありますが、当社は「諏方神社」と表記します。この「諏方」という表記は古来から用いられており、古文書などにもその使用例が見られます。諏訪地方も「洲羽」や「須波」など様々な表記が用いられてきましたが、和銅6年(713年)の『続日本紀』での「畿内七道諸国郡号の名は好き字を著けよ」という制令以降、「諏訪」が一般的な表記となりました。それでも中世から近世にかけては「諏方」という表記も多用され、天保5年(1834年)には諏訪高島藩で「諏訪」と書くよう指令が出されるなど、表記の変遷がありました。当社では、所蔵する元禄時代の軸に「諏方大明神」と記されていることから、社名を「諏方神社」としています。全国に数多くある諏訪神社の分社のうち、現在でも「諏方」の表記を使用している神社は少数です。

境内社

諏方神社の境内には、以下の神社が鎮座しています:

境内の見どころ

地蔵坂

諏方神社の近くには「あらかわの史跡・文化財」として知られる地蔵坂があります。JR西日暮里駅の西わきに屈折して下る坂で、その名の由来は、諏方神社の別当寺であった浄光寺に安置された、江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵にちなんでいます。

恵魂碑

境内には、1928年(昭和3年)に建てられた「恵魂碑」があり、地域の歴史と共にその姿を今に伝えています。

源為朝公の山車

また、諏方神社の境内には「源為朝公の山車」が展示されています。製作年は安政(1854年~1860年)とされ、作者は不詳ですが、江戸時代の格式高い山車のひとつとして知られています。

文化財

諏方神社には、荒川区に指定された様々な文化財があります:

交通アクセス

諏方神社へのアクセスは非常に便利で、以下の交通機関を利用することができます:

Information

名称
新堀(日暮里)・谷中の総鎮守 諏方神社
(しんぼり にっぽり やなか すわ じんじゃ)

日暮里・北千住

東京都