長谷川町子美術館は、『サザエさん』の作者として知られる漫画家・長谷川町子(1920年 - 1992年)とその姉、長谷川毬子(1917年 - 2012年)が収集した美術品を展示する個人美術館です。所在地は東京都世田谷区桜新町1丁目30番6号で、一般財団法人長谷川町子美術館が運営しています。1993年に姉妹社の解散に伴い、長谷川町子作品の著作権管理も行っています。
長谷川町子美術館では、長谷川姉妹が収集した美術品を中心に展示されています。漫画『サザエさん』の原画や菊人形、絵画、磯野家の間取りのミニチュア、アニメ『サザエさん』の映像が鑑賞できるコーナーなど、彩な展示が行われています。
美術館では、テレビアニメ『サザエさん』の制作局であるフジテレビが毎年夏に開催するイベントとの連動企画を夏休みに実施しています。
桜新町駅から美術館までの通りは「サザエさん通り」と呼ばれており、沿道には『サザエさん』一家の銅像が立ち並んでいます。
美術館内の売店では、ここでしか購入できないオリジナルグッズが多数販売されています。
美術館の最寄り駅である桜新町駅から美術館までは「サザエさん通り」と呼ばれ、沿道にはサザエさん一家の銅像が並んでいます。
長谷川町子(はせがわ まちこ、1920年1月30日 - 1992年5月27日)は、日本の女性漫画家で、日本初の女性プロ漫画家として知られています。代表作には『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』などがあります。町子は佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)で、父・勇吉と母・貞子との間に生まれ、3人姉妹の次女として育ちました。
町子が漫画家としての活動を始めたのは、漫画『のらくろ』が一世を風靡していた頃のことでした。山脇高等女学校に在学中の1935年、田河水泡に師事し、『少女倶楽部』に掲載された『狸の面』でデビューしました。その後、さまざまな作品を発表し、1939年には初の連載作品『ヒィフゥみよチャン』で漫画家としての地位を確立しました。
1946年4月22日、西日本新聞の僚紙「夕刊フクニチ」で『サザエさん』の連載が始まりました。町子は海辺の風景を眺めている時に、登場人物に海にちなんだ名前をつけるアイデアを思いつき、磯野家の日常を描いたこの作品は瞬く間に人気を博しました。後に、朝日新聞社が創刊した夕刊朝日に連載の場を移し、『サザエさん』は新聞4コマ漫画の代表作として広く親しまれることとなりました。
晩年の町子は、多くの賞を受賞し、その功績が称えられました。1982年には紫綬褒章を受章し、1992年には国民栄誉賞が授与されました。しかし、1992年5月27日、町子は冠動脈硬化症による心不全で亡くなりました。彼女の遺言により、葬儀は肉親のみの密葬で行われ、訃報は1か月間公表されませんでした。
町子の代表作『サザエさん』は、その後も多くのメディアで取り上げられ、アニメ化や映画化、テレビドラマ化されるなど、多くの形で人々に親しまれ続けています。彼女の作品は、戦後の日本社会における家族の姿や日常生活を描き、その中でユーモアと風刺を交えたスタイルで読者に愛されました。
町子は『サザエさん』以外にも数多くの漫画作品を手がけており、戦中には小学館の学習雑誌などにも短編を多数掲載していました。また、挿絵やイラスト作品も手がけており、その中には「少女倶楽部」や「少年朝日」の表紙イラストなども含まれています。
町子の作品は、アニメや映画にも多数展開されており、『サザエさん』や『いじわるばあさん』などは、長年にわたり多くのファンに親しまれています。これらの作品は、時代を超えて愛される日本の文化の一部となっています。
1985年には東京都世田谷区桜新町に「長谷川美術館」を設立し、初代館長を務めました。美術館は町子の没後、「長谷川町子美術館」に名称を変更し、彼女の功績を広く伝える場として機能しています。町子の作品や美術品は、日本文化と漫画の発展に多大な貢献をした彼女の遺産として、今なお多くの人々に親しまれています。
東京都世田谷区桜新町1丁目30番6号
午前10時 - 午後5時30分(入館は午後4時30分まで)
以下の料金には美術館と記念館の料金が含まれます: