アークヒルズは、東京都港区赤坂一丁目と六本木一丁目にまたがって位置する大規模な複合施設です。時折「赤坂アークヒルズ」とも呼ばれ、その名は赤坂(A: Akasaka)と六本木(R: Roppongi)の接点(K: knot)に由来しています。また、「ARK」にはノアの方舟の意味も込められており、その象徴的な名称が印象的です。
アークヒルズは、赤坂と六本木の間に広がる約5.6ヘクタールの土地に建設された都市再開発プロジェクトです。このプロジェクトは、赤坂六本木地区市街地再開発組合によって進められ、森ビルがその中心的な役割を果たしました。複数の高層ビル、ホテル、集合住宅、コンサートホール、そしてテレビ朝日などの放送局を含むこの施設は、1986年(昭和61年)に完成し、当時の民間都市再開発事業としては最大級の規模を誇ります。
アークヒルズの再開発プロジェクトは1967年(昭和42年)に始まり、完成までに約20年の歳月を要しました。この期間中、多くの困難がありました。特に六本木一丁目の再開発では、住宅密集地での計画が進められ、住民からの反発が強く、再開発反対のビラが街中に貼られる事態も発生しました。霊南坂教会などの宗教施設も計画に含まれていましたが、内部問題などにより参加を断念することとなり、再開発は困難を極めました。
最終的に、アークヒルズの再開発では約8割の地権者が地区外に転出し、このプロジェクトは「住民追い出し再開発」と非難されることもありました。当時、森ビルの常務であった森稔は、このプロジェクトについて「地権者に再開発の価値を十分に理解してもらえなかった」と回顧しています。
アークヒルズは、虎ノ門の高台から谷底にかけての傾斜地に位置し、六本木通りや首都高速都心環状線などの主要幹線道路に接しています。開業当初は最寄りの鉄道駅がありませんでしたが、1997年(平成9年)に溜池山王駅が、2000年(平成12年)には六本木一丁目駅が開業し、アクセスが大幅に向上しました。
1967年に森ビルが高島湯とその周辺の土地を買収し、1969年11月には33階建ての高層ビルの建設計画が提案されました。しかし、住民からの強い反発を受け、1971年3月に再開発適地調査が行われ、その後、再開発計画が公表されました。住民との対立が続く中、1979年11月に和解が成立し、1983年11月に着工、1986年3月にアークヒルズが竣工しました。
その後もアークヒルズは発展を続け、1999年3月にはエグゼクティブタワーが竣工しました。さらに、2002年にはアーク森ビルに国内初の非接触式ICカード(RFID)によるセキュリティーゲートが設置されました。2003年にはメインテナントだったテレビ朝日が六本木ヒルズに移転し、その後、ビル全体の大規模な改装が行われました。
アーク森ビルは37階建てのインテリジェントオフィスビルで、その独特なデザインにより、遠方からは2棟のタワーが近接しているように見えます。下層階は商業施設、上層階はオフィステナントとして利用されています。オフィスのテナントには、かつてゴールドマン・サックスやシェアソン・リーマン証券などの外資系企業が集結し、日本の国際金融センターの一翼を担いました。
アークヒルズ内には、クラシック音楽専門のサントリーホールがあり、パイプオルガンを備えた大ホールと小ホールで構成されています。ホールは、世界的な指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンによる音響設計が施されており、彼の功績を称えて「カラヤン広場」と名付けられた広場も併設されています。
カラヤン広場は、サントリーホールとアーク森ビルの間に位置し、さまざまなイベントが開催されるスペースです。かつてはテレビ朝日の番組のロケ地としても使用されていました。
2011年には、六本木通りを挟んで向かい側に「アークヒルズフロントタワー」が竣工しました。また、森ビルが所有していた他の近隣オフィスビルも「アークヒルズ」の名を冠して再開発され、「アークヒルズサウスタワー」として新たに誕生しています。
アークヒルズは、日本の都市再開発の象徴的な存在であり、その発展の歴史は現代の東京における都市計画の成功例として、今も多くの人々に知られています。