大倉集古館の歴史と背景
創設者・大倉喜八郎のビジョン
大倉集古館は、明治から大正期にかけて大きな財を築き上げ、大倉財閥の創始者である大倉喜八郎によって設立されました。彼は長年にわたって集めた古美術品や典籍類を展示・保存する目的で、1917年(大正6年)に邸宅の一部に財団法人大倉集古館を開館しました。
関東大震災と再建
開館からわずか数年後の1923年(大正12年)、関東大震災により当時の展示館と一部の展示品が被害を受け、一時的に休館を余儀なくされました。しかし、伊東忠太の設計と大成土木(現:大成建設)の施工によって耐震・耐火構造を持つ中国風の新たな展示館が1927年(昭和2年)に完成し、翌年再開館しました。この新しい展示館は、展示室から長い回廊が六角堂を経て表門へと続く壮大な構造を特徴としていました。
戦後の再生と保存
太平洋戦争中の空襲からも耐え抜いた大倉集古館ですが、戦後、敷地内にホテルオークラ東京が建設されることになり、一部の建物が解体されました。その後も展示室は保護され、1990年(平成2年)には東京都の歴史的建造物に選定され、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財に指定されました。
ホテルオークラ東京の建て替えに伴うリニューアル
50年以上の歴史を持つホテルオークラ東京本館の老朽化に伴い、The Okura Tokyoへの建て替えが決まり、それに合わせて大倉集古館も大規模なリニューアルが行われました。谷口建築設計事務所の設計、大成建設の施工により、集古館は約6メートル曳家され、新たに免震構造の地下階が増設されました。また、ロビーやショップ、ホールなどの新施設も併設され、2019年(令和元年)9月12日にリニューアルオープンしました。
さらに、The Okura Tokyoの最大の宴会場である「平安の間」には、大倉喜七郎が蒐集した国宝『古今和歌集序』をモチーフにした壁面装飾が施され、喜七郎の「平安」のイメージを継承しています。このリニューアルにより、大倉集古館とThe Okura Tokyoは第62回BCS賞を受賞しました。
運営者と収蔵品
公益財団法人大倉文化財団
大倉集古館の運営は、公益財団法人大倉文化財団が担っており、日本や東洋の絵画、書跡、彫刻、陶磁器、漆工、金工、刀剣、能面、能装束、考古遺物など約2,500点を所蔵しています。また、中国の古典籍(漢籍)約1,000部も収蔵されており、年間5回程度の企画展が開催されています。
主な収蔵品
大倉集古館の収蔵品には、国宝が3件、重要文化財が13件、重要美術品が44件含まれています。以下は、特に注目すべき主な収蔵品です。
国宝
- 木造普賢菩薩騎象像(平安時代)
- 古今和歌集序(彩牋三十三枚)(巻子本古今和歌集)平安時代
- 紙本淡彩随身庭騎絵巻(鎌倉時代)
重要文化財
- 絹本著色一字金輪像
- 絹本著色石清水八幡宮曼荼羅図
- 紙本著色賀茂競馬・宇治茶摘図 久隅守景筆 六曲一双
- 紙本著色鵜飼図 狩野探幽筆 六曲一双
- 絹本著色洞窟の頼朝 前田青邨筆 二曲一隻 昭和4年(1929年)
- 石造如来立像 北魏
- 長生殿蒔絵手箱
- 寿老図六角皿 尾形乾山作・尾形光琳画
- 短刀 銘則重
- 徐公文集(宋刊本)12冊
- 宋版大唐三蔵取経詩話3帖
- 宋版韓集挙正10冊
- 東大寺文書(屏風貼付)六曲一隻
その他の重要な収蔵品
大倉集古館には、他にも以下のような重要美術品が多数収蔵されています。
- 探幽縮図 狩野探幽筆(重要美術品)
- 宮川長亀『上野観桜図・隅田川納涼図』六曲一双(重要美術品)
- 椿椿山『蘭竹図』六曲一双(重要美術品)嘉永5年(1852年)
- 冷泉為恭『仏頂尊勝陀羅尼神明仏陀降臨曼陀羅図』『山越阿弥陀図』(各重要美術品)
- 宇田荻邨『淀の水車』二曲一隻(1926年)
- 横山大観『夜桜』六曲屏風一双(1929年)
旧蔵品
大倉集古館の旧蔵品には、かつて興福寺にあった乾漆釈迦十大弟子立像『伝優波離像』(奈良時代)がありました。この像は関東大震災で焼失してしまいましたが、現存していれば国宝級の貴重なものでした。