愛宕山は、東京都港区愛宕に位置する丘陵で、その標高は25.7mです。愛宕神社の境内にあるこの山は、東京23区内で最も高い天然の山として知られており、その頂上には三等三角点が設置されています。また、愛宕山周辺には歴史的な遺跡である芝丸山古墳も存在し、地域の重要なランドマークとなっています。
愛宕山は自然形成によって成立したことが地質学的に立証されていますが、その形成メカニズムについては、周辺の低地との兼ね合いからまだ明確に解明されていません。この山は長い歴史を持ち、江戸時代から信仰の対象となり、山頂からの江戸市街の眺望は多くの人々を魅了してきました。『鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」として歌われ、その美しい景観が称賛されています。
愛宕山の山上に鎮座する愛宕神社は、1603年に徳川家康の命により、江戸の防火を祈願するために建立されました。この神社は「天下取りの神」や「勝利の神」としても知られ、各藩の者たちは地元に祭神の分霊を持ち帰り、全国各地で愛宕神社が祀られるようになりました。また、桜田門外の変で井伊直弼を襲撃した水戸藩の浪士たちも、愛宕神社で成功を祈願してから江戸城へ向かったとされています。
さらに、NHKの前身である社団法人東京放送局(JOAK)は、1925年に愛宕山に放送局を設置し、1938年までこの場所から放送が行われました。これにより、愛宕山はメディアの歴史にもその名を刻むこととなりました。
太平洋戦争が終結した直後の1945年8月17日、愛宕山は「尊攘同志会」の会員らが日本の降伏に反対し、篭城した事件の舞台となりました。この事件は「愛宕山事件」として知られ、同年8月22日には尊攘同志会員の12人が集団自殺を図り、そのうち10人が死亡しました。愛宕山は、戦争の悲劇と複雑な歴史を持つ場所として、後世に語り継がれています。
現在、愛宕山の周囲には高層ビルが立ち並び、かつてのような広大な眺望は失われつつありますが、山自体の豊かな緑はそのまま残されています。歴史ある曹洞宗の青松寺、愛宕神社、そしてNHK放送博物館がこのエリアに集まり、それらを取り囲む超高層ビル群が現代の東京を象徴する風景を作り出しています。また、愛宕山には愛宕山エレベーターが設置されており、山頂まで楽にアクセスできるようになっています。
愛宕神社には「男坂」と呼ばれる急な石段があり、これが「出世の石段」として広く知られています。この名は、1634年に徳川家光が山上に咲く梅の枝を取るよう命じた際、讃岐丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が馬で石段を駆け上がり、枝を取ってきたという逸話に由来しています。この功績により、彼は馬術の名人としてその名を全国に轟かせました。
歴史的に、出世の石段を馬で登った成功例は3例しか存在しません。1882年には仙台藩の石川清馬が、1925年には参謀本部馬丁の岩木利夫がそれぞれ成功させました。岩木利夫が挑戦した際は、その模様が東京放送局によって生中継され、日本初の生中継として記録されました。1982年には馬術のスタントマン、渡辺隆馬が日本テレビの特別番組で挑戦し、32秒で登頂に成功しました。
まとめ
愛宕山と愛宕神社は、歴史的な背景と豊かな自然が融合した場所として、多くの人々に愛されています。その中でも「出世の石段」は、成功を祈願する人々にとって特別な意味を持つ場所となっています。現代においても、愛宕山は都市の喧騒から離れ、静かな自然と歴史を感じることができる貴重な場所として、多くの人々に親しまれ続けています。