渋谷駅の象徴的な待ち合わせスポットのひとつとして知られる「モヤイ像」は、JR渋谷駅西口(南西側)に位置しています。1980年(昭和55年)、新島が東京都に移管されてから100年を記念して、新島から渋谷区に寄贈されたもので、その除幕式は同年9月25日に行われました。像の横には、「モヤイ」という言葉の意味を説明する碑文があり、茂った草に隠れつつも、訪れる人々にその背景を伝えています。
モヤイ像は、イースター島のモアイ像に似たデザインでありながら、胴体部分がなく、ウェーブのかかった頭髪を持つ独自のスタイルが特徴です。また、バス停側とコインロッカー側では異なる2種類の顔を持っており、それぞれ異なる人物像を表しています。作者の孫である植松創によれば、髪の長い顔はサーファーの「あんき(にいちゃん)」を、髭のある顔はかつて流刑地であった新島の流人を表現した「いんじい(おじいさん)」をモチーフにしているとのことです。
バス停側の顔は、若々しいサーファー「あんき(にいちゃん)」をイメージしています。サーフカルチャーが盛んな新島のイメージを取り入れ、現代的なデザインが特徴です。
コインロッカー側の顔は、「いんじい(おじいさん)」を表し、新島の歴史を反映したデザインです。流刑地であった新島の過去と現在の融合を象徴しています。
モヤイ像は、渋谷の象徴である忠犬ハチ公像とは駅を挟んだ反対側にあり、比較的空いていることから、待ち合わせスポットとして利用されることが多いです。休日の夕方など混雑する時間帯でも、ハチ公像前よりは人混みが少なく、利用しやすい場所として知られています。
2009年、アニメ「ルパン三世」のキャラクターに盗んでほしい物を募集する企画の一環で、多数の投票が寄せられたモヤイ像が“盗まれる”というプロジェクトが実施されました。同年12月1日に犯行予告が行われ、その予告通りに7日未明、モヤイ像は“盗み出され”、元の場所にはルパンのサインが残されました。この「盗難」は、実は新島観光協会や渋谷警察署などの協力のもとで行われた企画であり、モヤイ像は新島に輸送され、洗浄を行った後、12月21日未明に再び渋谷に戻されました。
このプロジェクトは、モヤイ像の存在とその歴史を広く知ってもらうことを目的に行われたもので、遊び心のある演出により、全国の注目を集めることに成功しました。また、像が新島に戻されたことで、その制作背景や新島の文化に触れる機会を多くの人に提供することにもなりました。
2018年には、モヤイ像が長年の汚れに覆われていることを嘆いた作者の孫のツイートが話題となり、テレビ局の目に留まりました。その結果、モヤイ像の洗浄がテレビ番組として放送され、多くの人々の目に触れる機会となりました。この出来事を通じて、モヤイ像が再び注目を浴び、清掃活動が行われたことで、その美しい姿を取り戻すことができました。
モヤイ像は、伊豆諸島新島村の名物であり、イースター島のモアイをモデルにした石像です。新島で産出される「抗火石(コーガ石)」という珍しい石を材料に作られており、この石は新島とイタリアのリーパリ島でのみ採掘される非常に稀なもので、約10億トンの埋蔵量があると推定されています。軽く、彫刻刀で容易に加工できるという特徴を持つこの石は、新島の特産品として多くのオブジェに利用されています。
モヤイ像は、地元の観光協会理事でアーティストであった大後友市(こけし彫り職人)が考案したもので、新島の「モヤイの丘」をはじめ、島の各地に多数存在します。デザインはモアイ像に似た形状だけでなく、様々なバリエーションが見られます。「モヤイ」という名前はモアイにちなんでいるだけでなく、日本語の「舫う」(船を綱で繋ぎ留める)や「催合う、最合う」(力を合わせる、助け合う、共同作業をする、共同で使用する)という意味も含まれています。これらの言葉は、日本の多くの地域では使われなくなったものの、新島では今も使われ続けています。
新島では、昭和50年代に盛んにモヤイ像を制作し、日本各地へ寄贈する活動が行われていました。これにより、モヤイ像は新島を象徴する存在として広く認知され、地域のPRにも大いに貢献しました。モヤイ像はただの観光オブジェに留まらず、新島の歴史と文化を伝えるシンボルとして、多くの人々に愛されています。