岡本太郎記念館は、東京・港区南青山に位置する私立美術館です。この美術館は、著名な芸術家である岡本太郎が生前に使用していた自宅兼アトリエを改修し、彼の没後に記念館として公開されました。訪れる人々は、岡本太郎の多彩な作品や彼の創作活動の足跡を間近で感じることができます。
岡本太郎記念館では、多くの彫刻、デッサン、エスキースなどが展示されており、彼の芸術の幅広さと独創性を垣間見ることができます。館内は2階建てで、1階には岡本太郎が実際に使用していた筆や絵具などが展示され、2階には油絵や彫刻作品が並べられています。また、館内での写真撮影が自由に許可されており、訪問者は記念として自分の好きな作品をカメラに収めることができます。
岡本太郎記念館は、財団法人「岡本太郎記念現代芸術振興財団」によって運営されています。この財団は、岡本太郎が1996年に亡くなった翌年の1997年(平成9年)2月に設立され、記念館はその翌年の1998年(平成10年)5月に開館しました。
現在の館長は平野暁臣氏が務めており、財団法人の理事長は実業家の清水井敏夫氏が担っています。他にも、構造家や美術評論家、絵画修復家など、さまざまな分野の専門家が理事や評議員として名を連ねています。また、著名なコピーライターの糸井重里氏や川崎市長の福田紀彦氏、裏千家の千玄室氏が顧問として財団に関わっています。
岡本太郎は、1953年(昭和28年)から1996年(平成8年)に84歳で亡くなるまでの42年間、南青山のこの邸宅で暮らしながら、国内外での創作活動を続けていました。彼の創作の拠点であったこの場所は、岡本太郎の独創的な芸術の一端を知る上で重要な場所となっています。
岡本太郎の家族が暮らしていた以前の旧居は、父である岡本一平の時代に使用されていましたが、1945年(昭和20年)5月に東京大空襲(山の手大空襲)により焼失しました。この旧居で、岡本太郎は両親と共に長い年月を過ごし、1930年代にはここからヨーロッパへ旅立ちました。太郎が兵役に就いていた頃、父の一平は岐阜に疎開し、その地で亡くなりました。
1953年に再建された現在の建物は、友人であり著名な建築家である坂倉準三氏によって設計されました。坂倉氏はル・コルビュジェの弟子であり、この建物も彼の影響を受けた独自のデザインとなっています。積み上げられたブロック壁に凸レンズ形の屋根が乗ったこの建物は、岡本太郎自身の要望によるもので、壁には岡本が描いた顔と「TARO」の赤いサインが刻まれています。また、1970年(昭和45年)に行われた大阪万国博覧会の「太陽の塔」の構想も、このアトリエで練られました。
岡本太郎記念館は、10:00から18:00まで開館しており、最終入館時間は17:30となっています。火曜日は休館日ですが、祝日の場合は開館しています。また、観覧料は一般650円、小学生300円であり、15人以上の団体での利用の場合は100円引きの割引があります。
岡本太郎記念館以外にも、川崎市多摩区枡形にある「川崎市岡本太郎美術館」など、岡本太郎の作品や生涯に関する展示を行っている施設がいくつかあります。これらの施設も、岡本太郎の多彩な芸術を学ぶ上で訪れる価値があります。
岡本太郎記念館へのアクセスは、東京都内の主要駅からの交通が便利であり、地下鉄やバスを利用して訪れることができます。青山という都心に位置しているため、観光やショッピングと合わせて訪れるのも良いでしょう。
岡本太郎記念館は、彼の生涯と作品に触れることができる貴重な場所であり、その独創的な空間は、訪れる人々に新たなインスピレーションを与えてくれます。芸術を愛する方々はもちろん、岡本太郎の名前を初めて知る方でも、彼のエネルギッシュな作品群に触れることで、深い感動を得られることでしょう。