竹下通りは、東京都渋谷区神宮前、あるいは原宿に位置する商店街です。原宿駅から明治通りに向かって緩やかに下る全長350メートルほどの通りで、特に週末や休日、夏休み、春休みなどの時期には、多くの客で賑わいます。
竹下通りは、若者向けの派手なファッションブティックや、個性的な雑貨店が立ち並ぶ商店街として知られています。通りに面する店舗の多くは小規模なものであり、流行に敏感な若者たちのニーズに応じて頻繁に入れ替わります。一方で、30年以上続く老舗も存在し、長年にわたり地域のシンボルとして親しまれています。
この通りは、特に若者文化の発信地として注目されており、修学旅行生や外国人観光客にも人気です。文教地区に指定されているため、パチンコ店やラブホテルなどの風俗店は存在せず、健全な雰囲気が保たれています。しかし、1996年(平成8年)頃には風紀の乱れが問題となり、地元有志による浄化活動が行われました。
1990年代からは、アーティスト増田セバスチャンの活動を通じて、竹下通りは「カワイイ」文化の本場として世界的に知られるようになりました。増田セバスチャンの思想を受け継ぎ、世界的に有名なポップスターとなったきゃりーぱみゅぱみゅも、ここで育ったと言われています。また、デコラファッションで有名になり、その後原宿KAWAII文化の代表としてSNSで世界的知名度を獲得した紅林大空も、この通りから輩出されました。
竹下通りの商店街としての発展は、1974年(昭和49年)に「パレフランセ」という複合ビルが明治通りに開業したことに始まります。その後、1976年(昭和51年)頃から商店街化が進み、1977年(昭和52年)にはクレープ専門店「マリオンクレープ」や「カフェ・クレープ1号店」が開店しました。当初はあまり売れなかったクレープも、メディアで取り上げられるなどして人気を集め、竹下通りを象徴する商品として広まりました。
1979年(昭和54年)には、竹下通りで販売された独特な衣装を着用して表参道でパフォーマンスを行う「竹の子族」が出現し、通りは一躍注目を集めるようになりました。その後、1987年(昭和62年)には「タレントショップ」の元祖として、日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の番組グッズを扱う『元気が出るハウス』が開店し、竹下通りには多くのタレントショップが立ち並ぶようになりました。
1989年(昭和元年)には、竹下通りで42店舗(原宿全体で52店舗)のタレントショップが営業し、京都の嵐山と並ぶタレントショップのメッカとして賑わいを見せました。
1990年代後半には、ヒップホップ系やゴシック・アンド・ロリータといった個性的なファッションを好む若者たちが集まり、竹下通りの風景はさらに多様化しました。2005年(平成17年)頃からは中国人観光客が急増し、100円ショップのダイソー竹下通り店やドラッグストアで日本的なお土産をまとめ買いする姿が見られるようになりました。
竹下通りの左右に広がる地域は、かつて「竹下町」(たけしたちょう)と呼ばれていました。この地域は、1965年(昭和40年)3月の住居表示実施により、現在の渋谷区神宮前一丁目に変更されましたが、かつては竹下通りに沿って細長く伸びる低地部分が「竹下町」として親しまれていました。
竹下町は庶民的な住宅地であり、海軍大臣米内光政も1940年(昭和15年)の首相就任までこの地に住んでいました。江戸時代には、南豊島郡上渋谷村字竹下という地名であり、1889年(明治22年)に渋谷村が成立すると渋谷村大字上渋谷字竹下となりました。その後、渋谷町の行政地名変更や東京市への編入などを経て、渋谷区竹下町となりました。
2020年11月9日から11月23日まで、竹下通りは人気ガールズグループGirls²とのコラボレーションを実施し、その期間中のイメージソングとして「#キズナプラス」が使用されました。