東郷神社は、東京都渋谷区神宮前一丁目に鎮座する神社で、東郷平八郎元帥を祀っています。
東郷神社は、東郷平八郎の死去を契機に、多くの人々の要望と献金によって創建されました。1934年(昭和9年)5月30日に東郷平八郎が亡くなると、全国から海軍省に対して、彼を顕彰する神社の創設を求める声が高まりました。これを受け、当時の海軍大臣であった大角岑生が財団法人東郷元帥記念会を設立し、集まった献金により神社の創建が計画されました。
東郷神社が鎮座する地は、元々鳥取藩主・池田慶徳が1862年(文久2年)に所有していた約2万坪の屋敷地でした。彼の子孫である旧岡山藩池田家第15代当主・池田宣政侯爵が、私邸敷地の約1万2千坪を東郷元帥記念会に譲渡し、その土地が神社用地として利用されることになりました。残りの8千坪は、現在、原宿警察署や渋谷区立原宿外苑中学校、渋谷区立中央図書館、パークコート神宮前などが立地しています。
1937年(昭和12年)9月に地鎮祭が行われ、1940年(昭和15年)5月27日の海軍記念日に御鎮座祭が執り行われ、同時に府社に列格しました。しかし、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で社殿が焼失し、昇格が予定されていた別格官幣社への昇格は断念されました。
1952年(昭和27年)に東郷神社は隣接地を生長の家に譲渡し、同団体はその後、1954年(昭和29年)に本部会館を完成させました。1958年(昭和33年)には奉賛会が結成され、1964年(昭和39年)に社殿が再建されました。また、1989年(平成元年)2月3日には東郷神社爆破事件が発生しましたが、現在では平穏な状態を取り戻しています。
東郷神社の境内には、付属の教育機関として東郷幼稚園が併設されています。また、海軍や海事、水産関係者の霊を祀る「海の宮」も境内に存在し、多くの参拝者が訪れています。
海の宮は、海に関連する職業に従事した人々の霊を祀る場所として、特に海軍や水産業に関係する人々にとって重要な存在です。この場所は、海の恵みと安全を祈念する場としての役割も果たしており、神社全体の一部として親しまれています。
東郷神社に隣接する位置には、株式会社東日が経営する東郷記念館があります。これは神社とは別法人であり、結婚式や宴会などが行われる施設です。また、近隣のパークコート神宮前内には、東郷神社の直営宴会施設である「ルアール東郷」が設けられています。
その他、周辺には渋谷区立中央図書館や原宿警察署、原宿外苑中学校、生長の家旧本部会館(光明の塔)、竹下通りなどの施設があり、観光や学習の場として多くの人々に利用されています。
東郷神社には、著名な参拝者も多く訪れています。特に、米海軍のチェスター・W・ニミッツ元帥は東郷平八郎を非常に敬愛しており、第二次世界大戦後には東郷の旗艦であった「三笠」の保存に尽力しました。また、自著の売り上げを東郷神社に寄付し、神社再建に協力しています。神社の社務所には、ニミッツ元帥の手紙やメッセージ入りの写真が展示されています。
また、国際連合の事務総長であったブトロス・ブトロス=ガーリも、来日するたびに東郷神社に参拝していたことで知られています。
東郷神社は、歴史的価値のある文化財も所蔵しています。その一つが重要文化財に指定されている「太刀 額銘吉房」です。これは東郷平八郎が佩用していたもので、鎌倉時代の刀工・吉房によって作られた華やかな刃文が特徴です。太刀の茎が切り詰められた際に、銘の部分のみを額状に嵌めこんだものであり、その美しさと技術が評価されています。
東郷神社は、東郷平八郎を祀る場所としての歴史的意義を持ちながら、周辺地域との深いつながりを保ちつつ、現在も多くの参拝者に親しまれています。