代々木八幡宮は、東京都渋谷区代々木に所在する神社です。旧社格は村社で、八幡神として応神天皇を主祭神に、さらに天祖社に天照大神、白山社に白山大神を配祀しています。代々木の豊かな自然に囲まれたこの神社は、歴史と文化が交差する場所として、多くの参拝者に親しまれています。
代々木八幡宮の創建は1212年(鎌倉時代の建暦2年)に遡ります。この神社は、源頼家の近習であった近藤三郎是茂の家来である荒井外記智明によって建立されました。頼家が修禅寺で暗殺された後、智明は武蔵国豊島郡代々木野に隠遁し、主君の冥福を祈る日々を送っていました。
同年8月15日の夜、智明は夢の中で鎌倉の八幡大神から宝珠のような鏡を授かり、託宣を受けました。そこで、同年9月23日、元八幡の地に小祠を建て、鶴岡八幡宮より八幡大神を勧請したのが代々木八幡宮の始まりと伝えられています。現在でも、毎年9月23日に例祭が行われ、その歴史的な始まりを今に伝えています。
1950年(昭和25年)、神社境内で発掘調査が行われ、縄文時代の建物跡が発見されました。これにより、代々木八幡宮の歴史的価値がさらに高まりました。現在、境内には竪穴建物が復元されており、この場所は「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定されています。
代々木八幡宮の境内には、歴史的な建造物や見どころが点在しています。参拝者が境内を歩くたびに、神社の豊かな歴史と文化に触れることができます。
代々木八幡宮には、さまざまな神々を祀る摂社や末社が存在します。その中でも特に注目されるのが、稲荷社(豊受大神)、榛名社(日本武尊)、そして天神社(菅原道真公)です。これらの社を参拝することで、各神々のご利益を受けることができます。
代々木八幡宮の参道には、「訣別の碑」と呼ばれる石碑があります。この石碑は、大日本帝国陸軍が代々木練兵場を1909年(明治42年)に造営した際、この地を去ることになった居住者たちが別れを惜しんで奉納したものです。現在も、二基の灯篭の竿石部分として残されています。
代々木八幡宮は、その長い歴史を通じて多くの文化財を所蔵しています。これらの文化財は、地域の伝統と文化を後世に伝える重要な役割を果たしています。
渋谷区指定有形民俗文化財である絵馬「代々木八幡縁起絵」は、神社の歴史や縁起を描いた絵馬です。この絵馬は、代々木八幡宮の由緒を視覚的に伝える貴重な文化財です。
また、渋谷区指定有形民俗文化財に指定されている絵馬「神功皇后之図」も見逃せません。これは、神功皇后の伝説を描いた絵馬で、代々木八幡宮の神話的な背景を物語っています。
代々木八幡宮では、「代々木囃子」と「代々木もちつき唄」という二つの無形文化財が伝承されています。これらは、地域の祭りや行事で披露される伝統的な音楽や歌であり、地元の人々に愛され続けています。
前述のように、代々木八幡宮の境内には「代々木八幡遺跡」があります。これは、縄文時代の建物跡を含む遺跡であり、渋谷区の史跡に指定されています。この遺跡を訪れることで、古代の生活や文化を垣間見ることができます。
代々木八幡宮は、渋谷区内および目黒区内の広い範囲を氏子地域としています。具体的には、渋谷区代々木三丁目、四丁目、五丁目の全域、代々木一丁目と二丁目の一部、富ヶ谷一丁目~二丁目、上原一丁目~三丁目、元代々木町、初台一丁目~二丁目、西原一丁目~三丁目、大山町、神園町、神山町と松濤の一部、そして目黒区駒場の一部が氏子地域に含まれています。
代々木八幡宮へのアクセスは非常に便利です。小田急線の代々木八幡駅から徒歩数分、または東京メトロの代々木公園駅からも徒歩でアクセス可能です。さらに、京王バスや都営バスの「八幡下」停留所からも近いため、多くの人々が参拝に訪れます。
代々木八幡宮の境内には、いくつかの関連施設があります。特に注目すべきは、天台宗の別当寺である「福泉寺」です。この寺院は、代々木八幡宮と深い関わりを持っており、共に歴史を刻んできました。
また、一の鳥居の脇には「代々木八幡公衆トイレ」があります。このトイレは、2021年7月に利用が開始されたもので、渋谷区内に快適な公衆トイレを設置する「THE TOKYO TOILET」プロジェクトの一環として、建築家・伊東豊雄のデザインによって建設されました。キノコのような3つの建屋が特徴的です。