阿豆佐味天神社は、東京都立川市砂川町にある神社で、地域の人々に親しまれています。その歴史は深く、祭神や文化的な価値が数多く存在し、立川市の有形文化財にも指定されています。
阿豆佐味天神社の本殿には少彦名命(すくなひこなのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られています。少彦名命は、医薬や酒造りの神とされ、天児屋根命は天照大神に仕える神として知られています。これらの神々は、地域住民にとって健康や繁栄を守る存在とされています。
境内にはいくつかの神社があり、それぞれの神社に以下の神々が祀られています。
これらの神社は、それぞれ異なるご利益を持ち、参拝者は様々な願いを込めて訪れます。
阿豆佐味天神社は1629年(寛永6年)、後に砂川村となる地域の開拓に伴い、瑞穂町にある同名の阿豆佐味天神社を勧請して創建されました。その後、1738年(元文3年)には本殿が造営され、これが立川市内最古の木造建築物とされています。本殿は、長い歴史を持ち、その文化的価値も高く評価されています。1862年(文久2年)には拝殿も建設され、神社の構造がさらに整備されました。
1970年(昭和45年)には阿豆佐味天神社の本殿が立川市の有形文化財に指定されました。また、1959年(昭和34年)には殉国慰霊碑が建設され、1961年(昭和36年)には水天宮社が境内神社として吸収されました。
1950年代、砂川地域では米軍基地の拡張に反対する「砂川闘争」が行われており、阿豆佐味天神社はその拠点の一つとして利用されました。住民や学生が集まり、反対運動の中心となったこの場所は、地域の歴史の中でも重要な役割を果たしました。
阿豆佐味天神社の本殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)という様式で建てられており、千鳥破風や軒唐破風といった伝統的な装飾が施されています。屋根は柿葺(こけらぶき)で、総高約6メートル、桁行約1.8メートル、梁行約2.8メートルと壮大な造りです。通常は覆殿に覆われているため、外からは見えませんが、歴史的な価値のある建築物です。
2019年(令和元年)には、大規模な修復作業が行われ、2年にわたる修復が無事に終了しました。同年の東京文化財ウィークでは、本殿が一般公開され、多くの参拝者が訪れました。これにより、地域の文化財としての価値が再認識されました。
阿豆佐味天神社の境内には、本殿や拝殿のほか、以下の末社が存在します。
阿豆佐味天神社の境内には、蚕影神社という特別な社があります。この神社は、養蚕が盛んだった時代に、蚕の天敵であるネズミを捕まえる猫を祀るために建立されました。狛犬の代わりに猫の石像が設置されており、絵馬にも猫の絵が描かれています。これにより、蚕影神社は「猫返し神社」として知られるようになりました。
蚕影神社が広く知られるようになったのは、ジャズピアニストの山下洋輔が、行方不明になった飼い猫を祈願したところ、翌日猫が帰ってきたというエピソードがきっかけです。1987年に雑誌『芸術新潮』で紹介されたこの話は大きな話題を呼び、猫の無事や健康を祈る参拝者が増えました。その後、山下は2013年に『猫返し神社』を出版し、さらなる注目を集めました。
また、猫返し神社の境内では、山下洋輔が奉納したピアノ曲「越天楽」が流れ、独特の雰囲気を醸し出しています。猫の石像と共に、音楽が参拝者を迎えるこの場所は、猫を愛する人々にとって特別な存在です。
阿豆佐味天神社では、毎年1月1日に元旦祭が行われます。除夜の鐘と共に火が焚かれ、境内にはダルマ市が立ち、参拝者で賑わいます。
2月には節分祭が開催され、厄除けを願う人々が集います。また、4月15日には春祭りが行われ、かつては山車の巡行がありましたが、現在は行われていません。
8月には夏祭り、9月15日には例大祭・秋祭りが催されます。秋祭りでは、五日市街道を挟んで東西から山車や神輿が巡行し、境内では神楽や舞踊といった奉納演芸も行われます。
11月15日には七五三が、12月には伝統行事カマジメ切りが行われ、地域の子どもたちや家族が参加します。
阿豆佐味天神社へは、JR中央線立川駅から立川バスに乗り、「砂川四番」停留所で下車後、徒歩1分の距離にあります。また、西武拝島線武蔵砂川駅からは徒歩15分です。訪れる際には、公共交通機関を利用することをお勧めします。