立川市歴史民俗資料館は、立川市の自然、歴史、そして民族に関する貴重な資料を展示しており、市の指定文化財なども数多く所蔵しています。館内では、常設展示や企画展が随時開催され、市民や訪問者に対して地域の歴史や文化を深く知る機会を提供しています。昭和60年12月1日に開館し、市民文化の向上を目指し、立川市における文化的な拠点として活躍しています。
館内には、立川市の原始時代から近現代までの歴史、民俗、自然に関する資料を展示した常設展示室があります。ここでは、立川市の成り立ちや発展を示す様々な資料を見ることができます。また、特別展示室では郷土の歴史や文化をテーマにした企画展が定期的に開催され、来館者に新しい視点から地域の魅力を発見する機会を提供しています。
さらに、季節の行事にあわせた展示も充実しており、桃の節句や端午の節句に人形展示が行われたり、写真資料を使ったミニ展覧会が開催されるなど、訪れるたびに新しい発見があるのも特徴です。
六面石幢(ろくめんせきとう)は、仁王像や四天王像を刻んだ6枚の緑泥片岩の板石を六角の柱状に組み合わせたもので、六角形の笠石が載せられています。この石幢は普濟寺の開山・物外和尚の弟子である性了によって延文6年(1361年)に建立されました。石幢の高さは166cm、各面の幅は42cmで、日本に現存する石幢の中でも非常に重要な文化財とされています。現在、修復作業のため拝観は一時停止されています。
向郷遺跡は立川市内で最も著名な遺跡で、縄文時代中期(およそ5400年前~4500年前)の勝坂式土器が発見されています。この遺跡は戦前から存在が知られており、戦後には100回以上の発掘調査が行われました。特に、昭和41年の水道工事で発見された勝坂式土器は、遺存状態が良好で、市の指定有形文化財として保存されています。さらに、遺跡内では縄文時代の環状集落も発見されており、多くの墓穴やピット、住居跡が確認されています。
板碑は中世に流行した石造供養塔で、普濟寺には63枚の板碑が保存されています。これらの板碑は、武士や僧侶によって建立され、江戸時代以降に造られなくなったものの、現在も多くの文化財として残されています。平成7年に本堂の火災で一部が損傷しましたが、その価値は変わらず、市指定有形文化財として保護されています。
立川原合戦の戦死者を供養するために作られたと伝えられる銅鉦鼓(どうしょうこ)は、立川市の中世における重要な歴史的資料です。高さ7cm、最大径20cmの小型の鉦鼓であり、永正元年(1504年)の第二次立川原合戦の供養のために製作されたとされています。戦死者を弔うこの鉦鼓は、市の歴史における重要な文化財の一つです。
八幡神社本地仏像は高さ16cmの金銅製阿弥陀如来坐像で、天正14年(1586年)に阿弥陀坐像として奉納されました。背面には、立川氏の家族が神社を再興するために奉納した旨の銘文が刻まれており、歴史的価値が非常に高い仏像です。この仏像は市指定有形文化財として保護されています。
中世の立川氏の動向を示す重要な資料として、立川氏文書が残されています。文書は鎌倉時代から室町時代にかけてのもので、土地の売買や譲渡に関する記録が多く含まれています。また、「立河」や「柴崎」といった地名の初見も含まれており、研究者にとって貴重な資料です。
享和4年(1804年)に作成された柴崎村絵図は、江戸時代の村の様子を詳細に描いた資料です。この絵図には、神社や仏閣、集落の他、畑や水田が色分けされて描かれており、当時の多摩川の流れが現在とは異なることも示されています。柴崎村絵図は市指定有形文化財に指定され、貴重な地域史資料となっています。
諏訪神社では毎年8月に例大祭が開催され、豊作と郷土の安泰を祈願して獅子舞が奉納されます。獅子舞は約300年の伝統を持ち、柴崎・富士見町地区の住民により継承されてきました。獅子舞に使用される獅子頭と太鼓胴は、市指定有形文化財として保存されています。勇壮な舞いとともに、古式ゆかしい伝統が今も息づいています。