田無神社は、東京都西東京市田無町三丁目に位置する神社です。創建は鎌倉時代後期に遡り、多くの歴史的な出来事と共に発展してきました。現在では地域の守り神として信仰を集め、多くの参拝者が訪れています。
田無神社は、正応年間(1288年 – 1293年)に創建され、当初は田無北部の谷戸の宮山に鎮座していました。尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれ、級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)を祀っています。江戸時代初期には徳川家康の命により、石灰の供給地として青梅街道が開かれ、田無の地も宿場町として発展しました。
1622年(元和8年)に尉殿大権現が上保谷に分祀され、1646年(正保3年)には現在の田無の地に移されました。その後、1670年(寛文10年)に宮山の尉殿大権現の本宮も田無に遷座されました。1872年(明治5年)には熊野神社や八幡神社を合祀し、社名を田無神社と改め、主祭神として大国主命、須佐之男命、猿田彦命などを祀る現在の形になりました。
田無神社では以下の神々が祀られています:
田無神社の境内には、白龍、黒龍、赤龍、青龍のほか、恵比寿・大黒社、津島神社、鹽竈社、道祖神、弁天社、少彦名社など多くの神社が存在します。
田無神社参集殿(2004年登録)は、1935年に建築された木造平屋建の建物で、参道を介して社務所と向かい合っています。伝統的な和風建築で、内務省関連の建築家による設計とされています。
田無神社本殿・拝殿(2000年指定)は、1858年に鈴木内匠と彫工鈴木俊表によって建築されました。本殿は一間社入母屋造、拝殿は桁行3間、梁間4間の入母屋造です。
田無神社には、多くの文化財が存在し、その中でも特に獅子頭(雄獅子・雌獅子)は神楽に用いられた重要な品とされています。また、嶋村俊表による彫刻も見所のひとつです。
2011年の東日本大震災では、参道の鳥居や本殿の一部が損傷しましたが、修復が行われました。また、2018年には田無用水の風景を再現し、地域の生態系保護のためにビオトープが境内に設けられました。2020年には御遷座350年を記念した大祭が行われるなど、地域の文化と信仰の中心として現在も多くの人々に親しまれています。