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東伏見稲荷神社

(ひがし ふしみ いなり じんじゃ)

東伏見稲荷神社は、東京都西東京市に鎮座する神社です。1929年に京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建されました。創建と同時に、西武新宿線の上保谷駅の駅名が東伏見駅に変更され、1966年には神社の名称に因んで所在地も東伏見と命名されました。

概要

東伏見稲荷神社は、関東地方における稲荷神信仰の中心的存在として、多くの参拝者に親しまれています。その壮麗な社殿は朱色に彩られ、境内の緑とのコントラストが美しく、「新東京百景」の一つにも選ばれています。

祭神

東伏見稲荷神社では、伏見稲荷大社の祭神の中から、宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)の3柱を勧請し、これらを総称して「東伏見稲荷大神」として祀っています。

歴史

1929年(昭和4年)、関東地方の稲荷信仰を支えるために、京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建されました。創建当初から大規模な社殿を有し、多くの信者の参拝を集めてきました。しかし、創建が近代であったため、旧無格社として社格は与えられませんでした。

境内の見どころ

朱色の社殿

東伏見稲荷神社の社殿は、鮮やかな朱色が特徴的であり、境内の豊かな緑に映えています。この美しい景観は、新東京百景の一つとしても評価されています。

お塚参り(千本鳥居)

社殿の裏側には18か所の末社が点在しており、これらを参拝することを「お塚参り」と呼びます。このエリアには朱色の鳥居が迷路のように配置されており、千本鳥居を思わせる光景が広がっています。

戦没者慰霊碑

神社の境内には戦没者慰霊碑が設けられています。戦前、神社の近くには中島飛行機の社員研修所があり、そこで鍛錬教育が行われていました。第二次世界大戦中には、米軍の空襲により中島飛行機武蔵製作所で多くの犠牲者が出ました。製作所では、日本全国から徴用工員や学徒動員など約5万人が働いており、国内第一の航空発動機工場として機能していました。しかし、米軍は日本空軍の補給力を全滅させるため、武蔵製作所を爆撃の第一目標とし、昭和19年11月24日から終戦まで十数回にわたる爆撃が行われました。この空襲により、工場は廃墟となり、二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者が発生しました。この慰霊碑は、彼らの霊を慰めるために建立されたものです。

交通アクセス

東伏見稲荷神社へのアクセスは、西武新宿線の東伏見駅から徒歩約7分の距離にあります。また、西武新宿線の西武柳沢駅からも同じく徒歩約7分です。JR中央線と京王井の頭線の吉祥寺駅からは、関東バスまたは西武バスで「東伏見稲荷神社」バス停で下車します。同様に、JR中央線の三鷹駅や西武池袋線の保谷駅からもバスでアクセスできます。

周辺環境

東伏見稲荷神社は都立東伏見公園に隣接しており、公園内の森と一体化するように整備が進められています。この公園は神社の杜とも調和し、訪れる人々に自然の中での癒しのひとときを提供しています。

Information

名称
東伏見稲荷神社
(ひがし ふしみ いなり じんじゃ)

吉祥寺・立川

東京都