総持寺は、東京都西東京市田無町三丁目に位置する真言宗智山派の寺院です。山号は田無山(たなしさん)で、別名「田無不動尊」としても知られています。
総持寺の創建年代は不詳ですが、元和年間(1615年 – 1624年)に法印権大僧都俊栄和尚が、谷戸に法界山西光寺として創建しました。その後、慶安年間(1648年 - 1651年)に現在地へ移転したと伝えられています。江戸時代には、尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を務めていました。明治8年(1875年)には、西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併し、田無山総持寺と改称されました。
また、総持寺は関東三十六不動霊場の第10番札所および多摩八十八ヶ所霊場の第33番札所であり、東京百景にも選ばれています。
総持寺は、元和年間(1615年-1624年)に法印権大僧都俊栄和尚によって谷戸に法界山西光寺として創建されました。その後、慶安年間(1648年-1651年)に現在地へ移転しました。
江戸時代には、尉殿権現社(現在の田無神社)の別当寺としての役割を果たしていました。これにより地域における信仰の中心としての役割を担い、地域の人々からの信仰を集めていました。
明治8年(1875年)、西光寺は近隣の密蔵院および観音寺と合併し、田無山総持寺と改称しました。
総持寺には以下の伽藍があります:
尉殿大権現 神号額(じょうどのだいごんげん しんごうがく)は西東京市指定文化財第27号であり、昭和63年9月に指定されました。この扁額は明治元年(1868年)の神仏分離令により、神社が寺院から独立した際に西光寺(現・総持寺)が引き取ったものです。
この扁額の材質は欅で、縁は花頭曲線式、赤漆が塗られ、文字は金箔押しが施されています。揮毫者は「東都河保壽敬」とされており、制作年代は江戸後期(1851年)と推定されています。この扁額は、田無神社に尉殿大権現と号していた資料として貴重な存在です。
総持寺のケヤキは西東京市指定文化財第33号に平成5年5月に指定されました。このケヤキは田無地域における最大級の単幹樹木であり、市内の巨樹が減少する中で貴重な存在となっています。天保13年(1842年)から嘉永3年(1850年)にかけて西光寺(現・総持寺)の本堂が再建された際、その落慶を記念して植えられた樹木の一つと伝えられています。
総持寺へのアクセスは、西武新宿線田無駅より徒歩6分です。アクセスが良好で、訪れやすい立地となっています。