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谷保天満宮

(やぼ てんまんぐう)

谷保天満宮は、東京都国立市に位置する歴史ある神社です。甲州街道沿いに佇み、その歴史は長く、地元の人々に深く愛されています。社伝によれば、903年(延喜3年)に菅原道真の三男・道武が、父である道真を祀るために廟を建てたのがこの神社の始まりとされています。谷保天満宮は府社に列せられており、式内社穴沢神社の論社でもあります。

概要

谷保天満宮は東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社や湯島天満宮と並び、関東三大天神として知られています。神社の名称である「谷保」の読み方は本来「やぼ」ですが、南武鉄道(現在のJR南武線)が谷保駅の駅名を「やほ」としたため、地名も「やほ」と読まれるようになってしまいました。

江戸時代の狂歌師・大田蜀山人(南畝)が詠んだ狂歌、「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」が元になり、「野暮天」や「野暮」という言葉が生まれたという逸話も伝わりますが、これは後世の付会と考えられています。

歴史的背景と重要な出来事

1908年(明治41年)8月1日、有栖川宮威仁親王が運転する「ダラック号」(Darracq )を先頭に、国産ガソリン自動車「タクリー号」など計11台が参加した日本初のドライブツアーが行われました。このツアーは、甲州街道を立川まで進み、谷保天満宮の梅林で昼食会が催されたことで知られています。この歴史的なイベントを記念し、現在でも境内には記念碑が残されています。

由緒

『天満宮略縁記』(谷保天満宮蔵)によれば、903年(延喜3年)2月に菅原道真が薨去した際、子息の道武が自ら像を刻み、廟を建てて祀ったことが谷保天満宮の創建とされています。さらに、921年(延喜21年)11月に道武が薨去すると、彼も相殿に合祀されたと伝えられています。

祭神

谷保天満宮の主祭神は菅原道真であり、道武や石土毘古神、天之日鷲命、倉稲魂命が配祀されています。しかし、『天満宮略縁記』に記載されている道武は道真の子息とされていますが、実際にはそのような人物は存在しないとされています。

祭事と年中行事

谷保天満宮では年間を通じて多くの祭事が行われています。1月1日には歳旦祭(さいたんさい)が、1月25日には初天神が行われ、それに近い日曜日には筆供養も行われます。9月25日には例祭が催され、最も近い土日には万燈行列や花万灯、古式獅子舞などの伝統行事が行われます。さらに、100年に一度の大祭もあり、盛大な神事が執り行われます。

11月3日には鷽替え神事や庭燎祭(ていりょうさい)が、11月の一の酉には大鷲祭が行われ、11月23日には新嘗祭(にいなめさい)が執り行われます。また、12月の第一日曜日には、交通安全発祥の地であることにちなみ、境内にクラシックカーが集まり旧車祭が行われます。

境内の構造と特徴

谷保天満宮は、多摩川の河岸段丘(立川崖線)に沿って造られており、甲州街道から石段を下って境内に入る「下り宮」として知られています。これは天満宮としては珍しい構造で、歴史的に多摩川の流路が変遷した結果、現在のように境内の北側に街道が敷かれています。

学問の神として知られる菅原道真を祀る谷保天満宮は、受験生やその家族にとって特別な場所であり、受験シーズンには合格祈願の絵馬が多数掛けられます。特に初詣の際には、多くの参拝者が訪れ、境内は賑わいを見せます。また、境内には梅林があり、梅の名所としても知られており、毎年3月には梅まつりが開催されます。

境内社

谷保天満宮の境内には、三社合殿(稲荷合殿)、稲荷神社、蒼守稲荷神社、淡島神社、第六天神社、弁天社、五社合殿、三郎殿、厳島神社など、多くの境内社が点在しています。これらの社はそれぞれ異なる神々を祀っており、境内に訪れる参拝者は各社に参拝することができます。

文化財と交通アクセス

谷保天満宮には、鎌倉時代中期に作られた木造扁額「天満宮」や、同じく鎌倉時代の木造獅子狛犬など、貴重な文化財が数多く収蔵されています。これらは国の重要文化財に指定されており、宝物館に収蔵されています。

交通アクセスとしては、JR南武線の谷保駅から徒歩5分という便利な立地にあり、京王バスやJRバスも利用できます。また、神社には駐車場も完備されているため、車での訪問も可能です。

Information

名称
谷保天満宮
(やぼ てんまんぐう)

吉祥寺・立川

東京都