めぐろ歴史資料館は、東京都目黒区にある区立の歴史博物館です。2008年(平成16年)9月に旧目黒区立第二中学校の1階部分を改装して開館し、前身である守屋教育会館郷土資料室を拡充させた施設です。館内には常設展示室、企画展示室、資料室があり、屋外展示も充実しています。
めぐろ歴史資料館は、目黒区の歴史を広く紹介する場として設立されました。常設展示として「近世の目黒」内の「富士塚胎内洞穴」と大日如来座像が特に注目されています。この展示は、1991年(平成3年)に発見された目黒富士(新富士)跡の地下洞穴を樹脂の型取りで実寸大復元したもので、訪問者は内部を実際にくぐり抜けることができます。
「大昔の目黒」では、旧石器時代から始まった目黒の歴史を紹介しています。展示では発掘調査で明らかになったイエの跡や石器、土器などが展示され、旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代にかけての目黒の人々の暮らしを垣間見ることができます。
主な展示資料:中目黒遺跡、大橋遺跡、東山遺跡、土器塚遺跡出土遺物
「古代の目黒」では、地域の豪族の支配を経て「国」に組み込まれていった目黒の姿を追っています。少ないながらも残された中央との結びつきを示す資料から、古代の目黒の歴史を探ることができます。
主な展示資料:東光寺裏山遺跡出土骨蔵器
「中世の目黒」では、目黒氏や碑文谷氏といった武士団の時代を迎えた目黒を紹介しています。鎌倉道が整備され、板碑などの特徴的な遺物を通じて、中世の目黒の暮らしを感じることができます。
主な展示資料:円融寺南遺跡出土遺物、板碑
「近世の目黒」では、江戸時代における目黒の姿が描かれています。江戸庶民の行楽地としても賑わい、将軍の鷹狩りの地としても知られた目黒の様子を、地方文書や錦絵を通じて紹介しています。
主な展示資料:新富士遺跡胎内洞穴、角田家文書、目黒式たけのこ栽培関連資料
「道具にみる暮らし」では、農作業で使われた道具や昔の生活道具などが展示されています。これらの道具から、目黒の人々の暮らしの移り変わりを感じることができます。
主な展示資料:農具、灯明具など
「近代から現代までの目黒」では、明治・大正・昭和、そして平成に至るまでの目黒の変遷を紹介しています。村から町、町から区へと変わり、都市化により大きく変貌した目黒の姿を年表や写真、生活用具を通じて学ぶことができます。
主な展示資料:大橋遺跡出土遺物、平和関連資料
目黒富士(めぐろふじ)は、かつて東京都目黒区上目黒・中目黒に存在した江戸時代の富士塚で、富士信仰とその信仰団体である富士講によって築かれました。目黒富士は複数存在し、それぞれが信仰対象や景勝地として親しまれ、浮世絵に描かれるなどしていたのです。
元富士は、1812年(文化9年)に上目黒「目切坂」上に、富士講団体「山正広講」が築いたもので、「丸旦山」とも呼ばれました。高さ12メートルで、山頂には浅間神社の石祠がありました。参詣者でにぎわったこの場所も、1878年(明治11年)には岩倉具視の別邸となり、その後、根津嘉一郎邸となった際に破壊されました。
新富士は、1819年(文政2年)に中目黒「別所坂」上の別邸内に近藤重蔵が築かせたもので、元富士と区別して「新富士」や「東富士」「近藤富士」と呼ばれました。参詣者が多く集まったこの場所も、1959年(昭和34年)に破壊され、現在は別所坂児童遊園に石碑類が残されています。
新富士の麓には、実際の富士山麓にある溶岩洞(人穴など)を模した「胎内洞穴」が掘られていました。1991年(平成3年)に行われた新富士遺跡の発掘調査でこの洞穴が発見され、型取りされて樹脂で実寸大復元されました。この復元された胎内洞穴と大日如来像は、現在めぐろ歴史資料館で展示されています。
元富士と新富士は現存しませんが、元富士の石祠・石碑類を移した氷川神社は、現在も目黒富士の伝統を守っています。1977年(昭和52年)には、富士登山道に見立てた石段坂が境内に造られ、毎年7月には山開きと例祭が行われています。
交通アクセス:東急東横線・東京メトロ日比谷線 中目黒駅下車徒歩12分