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八雲氷川神社

(やくも ひかわ じんじゃ)

氷川神社は、東京都目黒区八雲に位置する由緒ある神社です。八雲氷川神社とも称され、旧武蔵国荏原郡衾村にあたる現在の目黒区八雲、東が丘、柿の木坂、自由が丘、緑が丘、平町、大岡山などの地域の鎮守として親しまれています。

神社の歴史

氷川神社の創建年代ははっきりしていませんが、衾村の名主を務めていた栗山家に伝わる安政2年(1855年)6月の『宝暦歳代記』には、宝暦7年(1757年)に鳥居が建立された記録が残っており、少なくともそれ以前から存在していたことがわかります。また、栗山家が所蔵する宝暦12年(1762年)の村絵図にも氷川神社が記載されています。

江戸時代後期に成立した『新編武蔵風土記稿』には、「草創の年歴詳ならず。されど境内のさまを見るに、年ふる松樹、その余諸木繁茂して、いかにも旧き社地と見えたり。」と記されており、古くからこの地に存在していたことがうかがえます。

神社の特徴と伝説

大正時代には、氷川神社の境内にある赤樫の木が「氷川様の呻り樫」と呼ばれるようになりました。この木からは毎晩12時頃から明け方3時頃にかけて呻き声が聞こえるという話題が広まり、多くの人々に知られるようになりました。

社殿の概要

金蔵院:氷川神社の別当寺

氷川神社の西隣には金蔵院(こんぞういん)という寺院があります。この寺院は江戸時代には氷川神社の別当寺であり、氷川神社との関係が深い場所です。金蔵院は、慶長5年(1600年)頃に頼栄によって創建され、享保年間に俊海が本堂を再建しました。旧等々力満願寺の末寺であり、文久2年(1862年)から別当が不在となり存立が危ぶまれましたが、明治時代に再興されました。

金蔵院の歴史と特徴

金蔵院は、東京都目黒区八雲二丁目に位置し、真言宗智山派に属しています。この寺院は安土桃山時代に頼栄によって開山され、氷川神社の別当寺としてその歴史を刻んできました。

1874年(明治7年)には一時廃寺となり、その後、目黒区立八雲小学校の教室として使用される時期もありましたが、1883年(明治16年)に檀家総代らの尽力により再興されました。現在でも多くの信仰を集めています。

金蔵院の名物:不動明王像

金蔵院には、不動明王の木像が祀られており、戦後の調査でその胎内から願文と写経が発見されました。願文には「応仁2年(1468年)8月7日」との日付があり、奈良県天理市一帯の毘沙門堂から運ばれたものであることが判明しました。

境内施設

交通アクセス

Information

名称
八雲氷川神社
(やくも ひかわ じんじゃ)

目黒・中目黒

東京都