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目黒川

(めぐろがわ)

目黒川は、東京都の武蔵野台地東端部を東流し、世田谷区・目黒区・品川区を経て東京湾に注ぐ河川です。二級水系の本流であり、古くから地域の重要な河川としての役割を担ってきました。

概要

目黒川の河口付近は、古くは「品川」(しながわ)と呼ばれ、古代から中世にかけて武蔵国の品川湊がありました。この河口の地形は砂州(洲崎)が細長く突き出し、流路が湾曲して流れが緩やかだったため、湊に適した場所として発展しました。「品の行き交う川」という意味から、地名「品川」の由来となったとされています。

江戸時代の絵図では、現在の下目黒付近の目黒川は「こりとり川」と記されています。この「こりとり」は「垢離取り(こりとり)」の意味で、かつてこの川で身を清めた後に目黒不動尊(瀧泉寺)に詣でたことに由来します。なお、「目黒川」という名称が確認される江戸時代の絵図は見つかっていません。

1957年(昭和32年)には、台風22号による集中豪雨で目黒川が氾濫し、地域に被害をもたらしました。

地理と生物

目黒川は、東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぎます。起点(北沢川と烏山川の合流点)から国道246号の大橋までの600m強の区間は暗渠化され、その地表部分には人工のせせらぎを抱いた緑道(目黒川緑道)が整備されています。この緑道では、カルガモやコイ、ザリガニなどの多様な生物が観察されます。大橋より下流は開渠となっており、自然の川の姿を見せています。

北沢川や烏山川が暗渠化され下水道に転用されてからは目黒川の水量が減少していましたが、1995年(平成7年)以降、「清流復活事業」として、下水を高度処理した水を新宿区の東京都下水道局落合水再生センターから目黒川に導くことで、水量が復活しました。この取り組みにより、スミウキゴリなどの魚類が増え、東京湾からはマハゼやアユ、ボラが遡上するようになりました。2017年には、地域の子供たちによる「いきもの発見隊」イベントで、12種類の魚類が採取されるなど、生態系の回復が進んでいます。

目黒川の桜並木

目黒区の辺りでは、目黒川の両岸に桜並木が続き、春には見事な桜の花が咲き誇ります。花見の時期には多くの見物客で賑わい、特に中目黒付近は有名な花見スポットとなっています。2014年の年末には、中目黒付近の目黒川沿いの木々に青色のイルミネーションが施され、多くの人々が訪れましたが、2015年は実施されませんでした。

治水対策

目黒川の下流部では、地盤が低いため台風や集中豪雨による洪水の被害を受けやすい地区となっています。1989年には、五反田一帯で浸水面積47haの大規模な被害が発生しました。このため、東京都は豪雨時に目黒川の水を一時的に地下に貯留する治水施設を整備しました。目黒区中目黒一丁目には「船入場調節池」、品川区西五反田三丁目には「荏原調節池」が設けられています。

流域の自治体と支流

流域の自治体

目黒川の流域には、以下の自治体が含まれます:

支流

目黒川の支流の多くは暗渠化され、緑道として整備されています。以下は、目黒川に流入する主要な支流です:

橋梁

目黒川には多くの橋が架かっています。特に中目黒付近の桜橋は、春の花見シーズンに多くの人々が訪れる人気のスポットです。また、下流部の品川橋付近は旧東海道の名残を感じることができます。目黒川沿いには歩行者専用の橋も多くあり、散策路としての役割も果たしています。

描かれた目黒川

目黒川は、江戸時代の絵画にも描かれています。たとえば、『江戸名所図会』や歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』などに、その美しい風景が描かれています。これらの作品は、当時の目黒川の風景を今に伝える貴重な資料となっています。

Information

名称
目黒川
(めぐろがわ)

目黒・中目黒

東京都