池袋西口公園(いけぶくろにしぐちこうえん)は、東京都豊島区にある豊島区立の公園で、池袋駅西口バスターミナルに隣接しています。公園の愛称は「GLOBAL RING(グローバルリング)」です。
池袋西口公園は豊島区にある公共の公園で、さまざまなイベントや催しが行われる文化的なスペースとしても活用されています。以下では公園の歴史や特徴について詳しく説明します。
1908年(明治41年)、この地には東京府豊島師範学校が設置され、1911年には附属小学校も開校しました。太平洋戦争後には闇市ができ、戦災で焼失した豊島師範の後身である東京第二師範学校が1946年(昭和21年)に小金井町(現:小金井市)に移転しましたが、附属国民学校はこの地に残されました。
学制改革により東京第二師範は他の師範学校と統合され、1949年(昭和24年)に東京学芸大学が発足しました。これに伴い、附属小学校は「東京学芸大学東京第二師範学校豊島附属小学校」となりましたが、東京第二師範の廃止を受けて、1951年に「東京学芸大学附属豊島小学校」と改称されました。
昭和30年代になると、池袋西口では駅前の区画整理問題が学芸大附属小学校の移転とも絡んで浮上しました。1963年(昭和38年)、大学は学芸大附属小学校を1964年3月で廃校することを決定し、1969年に校舎は取り壊されました。その後、跡地を取得した東京都から豊島区に施設建設予定地が子どもの遊び場として管理委託され、池袋西口公園が整備されました。1970年10月にはローラースケート場も開業しましたが、広い空き地のような状態が続き、夜は薄暗く、雰囲気は良くありませんでした。
1985年(昭和60年)、芝浦工業大学高等学校跡地などの再開発計画が進展し、近隣の国鉄官舎跡地にホテルメトロポリタンが開業しました。さらに、1990年には東京芸術劇場が学芸大附属小学校跡地に開業し、それに合わせて池袋西口公園も劇場の前庭公園として再整備されました。
2002年(平成14年)9月、公園内には幅11.8メートル、奥行き5.4メートルの野外ステージが設置されました。これは立教大学卒業生と池袋西口商店街連合会の働きかけによって『元気な豊島をつくる会』が建設し、豊島区に寄贈されたものです。2004年3月には開閉式ルーフも寄贈され、雨天時でも催しが行えるようになりました。
2015年(平成27年)3月、豊島区は「国際アート・カルチャー都市構想」を策定し、その一環として池袋駅周辺の4つの公園を「アート・カルチャー・ハブ」と位置付け、各エリアの特性に応じた整備を進める方針を定めました。これに基づき、池袋西口公園は2016年の南池袋公園、2019年の中池袋公園に続く形でリニューアルが計画されました。
2017年にはプロポーザルで三菱地所設計・ランドスケープ・プラスJVが設計者に選定され、基本設計から実施設計までを担当しました。提案された「グローバルリンク」が愛称として採用され、2019年(令和元年)11月16日にリニューアルオープンしました。
リニューアルにより、公園にはかつてこの地にあった丸池をデザインモチーフにした「グローバルリング」が設置されました。6本の柱が支える五重リングのパーゴラで、大地のエネルギーが湧き上がる様子をらせん状に表現しています。リングの下には円形広場があり、舞台棟やカフェ棟も設置されています。舞台棟はクラシックの生コンサートが可能な反射板を備え、大型サイネージや1万個以上のLED照明、スピーカー、ライブカメラを設置し、多様なアクティビティに対応しています。カフェ棟の運営はプロントコーポレーションが担当し、外国人向け観光案内所を兼ねたカフェを運営しています。
池袋西口公園は、2020年の東京オリンピック開催時に公式ライブサイトとしてパブリックビューイングが行われる予定でした。
リニューアル前の池袋西口公園は、劇場前庭として再整備される以前の姿でした。
池袋西口公園は、石田衣良の小説『池袋ウエストゲートパーク』の舞台としても知られています。1997年度オール讀物推理小説新人賞を受賞したこの小説は、2000年4月からTBSでテレビドラマ化され、ロケ地として使用されました。ただし、「池袋ウエストゲートパーク」および「IWGP」という名称は作中での呼称であり、公式名称ではありません。