東京都 » 東京都内(23区) » 池袋

雑司が谷 旧宣教師館

(ぞうしがや きゅう せんきょうし かん)

雑司が谷旧宣教師館は、1907年(明治40年)にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディー・マッケーレブによって建築された住宅です。この建物は、東京都豊島区に現存する最古の近代木造洋風建築であり、正式には「東京都豊島区立雑司が谷旧宣教師館」と呼ばれています。旧マッケーレブ邸としても知られ、東京都指定有形文化財に指定されています。

建物の特徴

雑司が谷旧宣教師館は、木造二階建てで、外観はカーペンターゴシック様式と呼ばれる下見板張りにペンキを塗った特徴的なデザインを持っています。屋根は3面に破風板を備えた切妻造りで、1階と2階にはそれぞれ3つの部屋が配置されています。この建物は、当時の西洋建築技術と日本の伝統工法が融合した貴重な例とされています。

歴史的背景とマッケーレブの活動

ジョン・ムーディー・マッケーレブは、キリスト教による青年教育を志し、当初目白台に学校を開こうとしましたが、隣接する日本女子専門学校(現・日本女子大学)からの懸念を受け、代替地として雑司が谷の土地を取得しました。そこに建設されたのが「雑司ヶ谷学院」であり、その敷地の一角に自身の邸宅として雑司が谷旧宣教師館が建てられました。

1907年の建築後、この邸宅はマッケーレブの住居としてだけでなく、布教や教育活動の拠点としても使用されました。当時、1階は食堂、リビング、教会事務室として、2階は寝室として使用されていました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で学院が大きな被害を受け閉鎖され、その後、1928年に学院の建物が売却され、新たに幼稚園が設立されました。この際、土地の一部も売却されたため、宣教師館は曳家で移動しています。

戦後の経緯と一般公開

1941年(昭和16年)、第二次世界大戦の影響でマッケーレブはアメリカへ帰国しました。その後、豊島区が1982年(昭和57年)にこの建物を取得し、1987年(昭和62年)には区の登録有形文化財に指定されました。その後、区による調査や保存修理が行われ、1989年(平成元年)1月より一般に公開されるようになりました。

一般公開後、1階では宣教師マッケーレブの日本での活動や生活を紹介する展示が行われており、また児童図書コーナーでは大正時代の児童文学誌『赤い鳥』の復刻版などを閲覧することができます。2階には、雑司が谷における近代の文化活動を紹介する展示が設けられています。

アクセス情報

雑司が谷旧宣教師館は、東京都豊島区雑司が谷1丁目25-6に位置しています。以下の交通手段を利用してアクセスすることができます。

電車でのアクセス

バスでのアクセス

開館日・時間と入館料

雑司が谷旧宣教師館は、月曜日、第3日曜日、国民の祝日の翌日、年末年始を除き、毎日開館しています。開館時間は9:00から16:30までで、入館料は無料です。

近隣の施設

雑司が谷旧宣教師館の近隣には、以下のような施設があります。

まとめ

雑司が谷旧宣教師館は、東京都豊島区に現存する貴重な近代洋風建築物であり、歴史的価値が高い文化財です。マッケーレブの活動や日本におけるキリスト教布教の歴史を学ぶことができる施設として、現在も多くの人々に親しまれています。都内の歴史に触れる貴重な機会をぜひお楽しみください。

Information

名称
雑司が谷 旧宣教師館
(ぞうしがや きゅう せんきょうし かん)

池袋

東京都