深川祭は、東京都江東区にある富岡八幡宮の祭礼であり、毎年8月15日を中心に開催されます。この祭りは、神田祭や山王祭と並んで「江戸三大祭り」の一つに数えられ、その歴史は約380年にわたります。別名「深川八幡祭」や「水掛け祭」とも呼ばれ、地域の人々から愛されています。
深川祭の例大祭は毎年8月15日前後に行われ、3年に1度、八幡宮の御鳳輦(ごほうれん)が渡御する年を「本祭り」と呼びます。本祭りでは、町神輿が「わっしょい!」の掛け声とともに連合渡御され、神輿が町を練り歩きます。この光景は壮観で、江戸時代から多くの観客を魅了してきました。特に、水を掛けることで暑さを和らげる伝統から「水掛け祭」とも呼ばれ、担ぎ手に水をかける「水掛け」であれば、誰でも参加できるのが特徴です。
深川祭の起源は、1642年に江戸幕府の命により徳川家光が長男家綱の世継ぎを祝賀したことに始まります。祭りの中で特に注目すべきは、江戸時代に永代橋で大勢の人々が押し寄せ、永代橋が崩落するという事故(1807年の永代橋崩落事故)を引き起こしたほどの人気があったことです。
その後も、戦後の復興や皇居への神輿渡御などを経て、1948年には本祭りが再開され、1995年には平泉町の祭りに招かれて深川祭の神輿が参加しました。2003年には江戸開府400年記念として、二の宮神輿が皇居前での拝礼を行いました。また、2011年の東日本大震災では、震災の影響により本祭りが翌年に延期されましたが、2012年には明仁天皇や皇后美智子(いずれも当時)が観覧するなど、重要な文化行事として続いています。2020年には新型コロナウイルス感染拡大により中止されましたが、2023年には6年ぶりに本祭りが再開されました。
深川祭の見どころの一つである神輿連合渡御では、氏子各町会の神輿50数基が集結し、約8キロのルートを巡ります。富岡八幡宮を出発し、東陽3丁目や扇橋公園前、清澄3丁目などの経由地を通過して、再び富岡八幡宮に戻ります。沿道では、観衆が担ぎ手に水を掛ける「水掛け祭り」として、多くの人々が楽しみます。
神輿連合渡御の前日に行われるのが鳳輦渡御です。鳳輦は、神輿とは異なり、神を運ぶための特別な車両であり、氏子区域内を約70キロ巡ります。深川地域を中心に、隅田川対岸の中央区日本橋地域や、臨海部の台場、新木場なども巡るため、多くの人々がその雄大な行列を目にすることができます。
富岡八幡宮(発) - 豊洲4丁目 - 台場 - 牡丹2・3丁目 - 東陽1丁目 - 石島 - 富岡1丁目 - 三好1丁目 - 福住1丁目 - 白河3丁目 - 清澄2丁目 - 日本橋箱崎町 - 新川2丁目 - 富岡八幡宮(着)
二の宮神輿渡御は、本祭りの翌年に行われ、氏子たちが二の宮の神輿を担ぎます。ルートは本祭りと同様で、2003年には江戸開府400年を記念し、108名の氏子が行幸通りを通過して皇居前で拝礼しました。この特別な渡御は、昭和天皇が戦後の深川を巡幸したことに対する感謝を込めて行われ、歴史的な出来事として深川祭の一環に組み込まれています。
子供神輿連合は本祭りの前年に行われ、30数基の子供用神輿が永代通りの一部を巡ります。これにより、子供たちも祭りに参加でき、地域の伝統を継承する大切な行事となっています。
富岡八幡宮は、東京都江東区富岡にある八幡神社であり、通称「深川八幡宮」として親しまれています。江戸最大の八幡宮であり、特に8月に行われる「深川八幡祭り」は、江戸三大祭りの一つとして多くの人々に知られています。また、この神社は江戸勧進相撲発祥の地でもあり、境内には「横綱力士碑」をはじめとする大相撲ゆかりの石碑が多数建立されています。
富岡八幡宮の神輿庫には、1991年に奉納された「御本社一の宮神輿」が展示されています。この神輿は「日本一の黄金神輿」として知られ、台輪幅が5尺(1.5メートル)、屋根幅9尺3寸(2.9メートル)、高さ4メートルを超え、全体の重さは4.5トンにも及びます。装飾には7カラットのダイヤモンドをはじめとする宝石がちりばめられており、その豪華さは圧巻です。
あまりにも重いため、この神輿は一度しか担がれたことがありませんが、1997年には祭りで担ぐための「御本社二の宮神輿」が製作され、以降は本祭りの翌年に氏子各町を渡御しています。