善養寺は、東京都江戸川区東小岩に位置する真言宗豊山派の寺院です。大永7年(1527年)に創建され、130余りの末寺を有する中本寺格の寺院として知られ、「小岩不動尊」の別名でも親しまれています。
善養寺は、境内に国の天然記念物である「影向のマツ」を有し、香川県の「岡野マツ」との「日本一のマツ」争いで有名です。また、「天明3年浅間山噴火横死者供養碑」などの文化財も所有しています。境内では毎年5月下旬にバラ・サツキ展、10月末から11月にかけて菊花展が開催され、多くの人々を集めています。特に、大相撲との縁が深く、「影向のマツ」や「式守伊三郎報恩碑」にまつわるエピソードがあります。
善養寺は江戸川の近くに位置し、山号を「星住山地蔵院」と称します。伝承によると、山城国醍醐山の僧である頼澄法印が夢告に従い、大永7年(1527年)にこの地に至り、不動明王を祀ったのが始まりとされています。また、室町時代の連歌師・柴家軒宗長が永正6年(1509年)に著した『東路のつと』には、善養寺に関する記述があり、実際の創建はこれよりも前であった可能性が高いです。
江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』では、善養寺について「新義真言宗、山城国醍醐報恩院末、星住山と号す」と記されています。「星住山」の山号は、かつて境内に生育していた「星降りマツ」に由来します。伝説によれば、星の精霊がこのマツの梢に降り立ち、赤、青、黄の石に姿を変えたとされ、その石は「星精舎利」と呼ばれていました。しかし、時を経て赤と黄の石は紛失し、青い石だけが残っています。
慶安元年(1648年)9月、徳川将軍家から寺領10石の朱印状を拝領し、賢融法印が中興しました。この頃、善養寺は130余りの末寺を有し、真言宗豊山派の中本寺格として知られるようになりました。
昭和54年(1979年)から昭和55年(1980年)にかけて、善養寺の「影向のマツ」と香川県志度町の真覚寺境内に生育していた「岡野マツ」が「日本一のマツ」をめぐって論争しました。最終的には、大相撲立行司の木村庄之助が仲裁し、「どちらも日本一」として決着がつけられました。この出来事により、「影向のマツ」は2011年9月21日に国の天然記念物に指定されています。
毎年3月末に植木市、5月下旬にバラ・サツキ展、10月末から11月に菊花展が開催されています。特に、3月末の植木市は「雨の植木市」とも呼ばれ、伝説によれば白蛇を殺したことで雨が降り始めたといわれています。しかし、2009年頃を最後に開催されなくなっています。
善養寺の境内には、影向のマツをはじめ、江戸時代の本堂や仁王門、そして高さ1.2メートルの不動明王像など、数々の文化財があります。また、「天明3年浅間山噴火横死者供養碑」は東京都指定有形文化財として、今なお多くの人々によって香華が手向けられています。
境内には、平成元年(1989年)に建立された「式守伊三郎報恩碑」と「横綱山」があります。特に、「式守伊三郎報恩碑」は、大相撲三役格行司であった木村宗四郎にまつわる碑で、彼の弟子である式守伊三郎が使用した軍配のエピソードが記されています。「横綱山」は、境内で開催された子供相撲大会の土で築かれましたが、現在では大会は開催されていません。
境内に生育する「影向のマツ」は、国の天然記念物に指定されており、日本国内で「岡野マツ」(香川県)との間で日本一を争うほど名高い存在です。このマツは600年以上の樹齢を誇り、四方に枝を広げた姿はまるで巨大な盆栽のようです。「影向」とは神仏が仮の姿をとってこの世に現れることを指し、このマツの名はその由来にちなんでいます。平成23年には国指定天然記念物となり、その偉容は訪れる者を圧倒します。
境内には、天明三年(1783年)の浅間山噴火で犠牲となった人々を弔う「天明三年浅間山噴火横死者供養碑」があります。この碑は、寛政七年(1795年)の十三回忌に建立され、昭和48年に東京都指定有形文化財に指定されました。供養碑の前には、火砕流から逃れた嬬恋村の鎌原観音堂を模した香炉が置かれています。
境内には「式守伊三郎報恩碑」など、相撲界と縁の深い文化財も存在します。また、「新四国八十八カ所霊場」や「釈尊聖地土砂宝塔」など、訪れる人々にとって特別な体験ができる場所も多くあります。
本堂は、間口十四間、奥行十二間の木造銅葺屋根で、弘化二年(1845年)に再建されました。本尊の延命地蔵菩薩像は、徳川第五代将軍綱吉公の帰依を受けた筑波山知足院の隆光大僧正が将来したものとされています。正面入口には、仁和寺真乗院の源証僧正の筆による「金剛場」の額が掲げられています。
不動堂には、開山頼澄法印が醍醐山から奉持した不動明王立像が祀られています。普段は秘仏ですが、正月三が日と不動明王の縁日である毎月28日のみ開帳され、護摩法要が行われます。
仁王門は朱塗りの山門で、享保年間(1741年頃)の建立です。正面の「星住山」の額は、本堂と同様に仁和寺源証大僧正の筆です。門の左右には仁王像が祀られ、門の裏には影向の松の大横綱やJR小岩駅にある栃錦像の型が安置されています。
大師堂には、宗祖である弘法大師空海の座像が祀られています。また、境内には修行大師、鯖大師、稚児大師など、さまざまなお大師様の像も祀られています。
鐘楼堂・梵鐘は、戦時中の金属回収で一時的に撤去されましたが、昭和37年に新しく造立され、昭和59年には改修・再鋳造されました。祝祭日と日曜日を除いて毎日朝夕に時の鐘を鳴らし、大晦日には除夜の鐘が行われます。
善養寺では、5月下旬にはバラ・サツキ展、10月末から11月初めには菊花展が開催され、多くの人々を魅了します。
「星降り松」は、徳川三代将軍家光公の時代の住職、賢融和尚が行った「虚空蔵求聞持法」という修行に関連する伝説に由来します。この修行の最後の日、天から星が降り、境内の松の上で輝いたという出来事が語り継がれています。その後、この松は「星降りの松」として有名になりましたが、昭和15年に枯れてしまい、現在は二代目の松が大きく育っています。
所在地:東京都江戸川区東小岩2丁目24番2号
交通手段:JR東日本総武線・小岩駅から葛西・瑞江方面行バスに乗車し、「江戸川病院前」(小岩から4つ目)で下車後、徒歩200メートル。