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新川(千本桜)

(しんかわ)

新川は、東京都江戸川区を流れる利根川水系の一級河川であり、中川と旧江戸川を結ぶ人工河川です。江戸時代には「船堀川」や「行徳川」とも呼ばれていました。

新川千本桜

新川は、天正18年(1590年)に徳川家康が江戸城に入城した際、千葉県の行徳まで塩を運ぶための船路を開削するよう命じたことで開削されました。この時期に、道三堀や小名木川と同時に掘削され、新川は「塩の道」として江戸市中に様々な物資を運ぶ重要な水路となりました。その沿川には味噌や醤油を売る店や料理店が立ち並び、非常に賑わいを見せていました。

新川の変遷と現代の役割

時代とともに鉄道や車などの移動手段が普及し、水路の利用は減少しました。また、水門で区切られたことにより船の運航もなくなりましたが、新川は都市の中の貴重な水辺空間として活用され続けています。平成6年から平成19年にかけて、東京都は護岸の耐震・環境整備を実施し、新川橋から東水門までの約2キロメートルを整備しました。

新川千本桜計画のスタート

その後、区が東京都の未整備箇所を整備し、新川の両岸に遊歩道を設け、桜を植樹する「新川千本桜計画」が平成19年4月にスタートしました。この計画は、江戸情緒あふれる街並みを再現し、人々に新たな憩いの場を提供することを目的としています。平成23年度に一部見直しが行われ、平成26年度には耐震護岸整備および遊歩道整備が全川3キロメートルにわたって完了しました。春には21種類、718本の桜が咲き誇り、遊歩道を行き交う人々の目を楽しませています。

桜の魅力とイベント

新川千本桜計画の一環として整備された遊歩道は、春になると多くの桜が咲き誇り、地域の人々や観光客を魅了しています。桜の種類も豊富で、見頃には多彩な花々が川沿いを彩り、桜の下を歩く人々に四季の美しさを届けています。

新川西水門広場の特徴

「新川西水門広場」は新川千本桜の起点として整備されました。この広場には、手洗所や新川千本桜のモニュメントである高さ15.5メートルの火の見やぐらがあります。この火の見やぐらは無料で登ることができ、周辺の景色を一望することができます。新川千本桜の始まりを象徴する場所として、多くの人々に親しまれています。

千本桜記念碑の建立

平成19年11月、葛西地域では新川千本桜に賛同する方々によって「新川千本桜の会」が結成されました。この会は、桜の植樹を実現するためにワンコイン募金などの活動を行い、多くの寄付を集めました。その温かい思いに応えるため、新川護岸遊歩道には寄付者の名前を刻んだ「新川千本桜記念碑」が建立されました。これは地域の人々の協力と支援を象徴するモニュメントとして、多くの訪問者に感動を与えています。

修景土塀の設置

新川千本桜計画の一環として、区は親水護岸整備や桜の植栽を行うだけでなく、沿川の住民に対して新川周辺の景観づくりへの協力と理解を求めています。平成21年度の西水門広場の完成に伴い、周辺の景観向上の一環として、第一三共株式会社からの寄附をもとに、既存の壁を活用しながら江戸時代の景観を模した修景土塀の設置が行われました。この取り組みは、地域の歴史的な景観を保存しつつ、現代の都市空間に調和をもたらすものです。

新川の歴史

江戸時代の新川

新川は江戸時代に「古川」の流路を一部変更してできた運河で、古川は古くから存在する自然の川でした。しかし、その蛇行する流路は河川交通には不便であったため、1594年(文禄3年)、徳川家康の江戸入府に伴い、河川の改造が始まりました。家康が関ヶ原の戦いに向かう際に利用したという説もあります。

1629年(寛永6年)には、行徳塩田の塩を江戸に運ぶため、新川が開削されました。その後、1632年(寛永9年)には「行徳船」が就航し、近郊の農産物や参拝客の輸送にも利用されました。東北地方から年貢米を運ぶ重要な水運ルートとして発展し、川岸には商店や料理屋が並び賑わいました。

明治時代と利根運河の完成

明治時代に入ると利根運河の完成や蒸気船の登場により、新川の役割も変化していきました。蒸気船「通運丸」や「利根川丸」が東京と銚子を結ぶ航路で人気を博しましたが、1895年(明治28年)の総武鉄道の開通により、その役割は縮小されました。

昭和時代の変遷

昭和時代になると、荒川放水路の完成に伴い新川の流路も大きく変わりました。1930年(昭和5年)までは旧中川まで流れていましたが、その後、東西方向に流路を変更されました。戦後は、水害対策や都市開発の影響を受けて大きく整備されていきました。

新川の役割と防災

新川は、葛西地区を水害から守る重要な役割を果たしてきました。1947年(昭和22年)のカスリーン台風の際には、新川が洪水を食い止め、葛西地区を浸水から守りました。しかし、その後の急激な地盤沈下により堤防が危険な状態になり、水門の改修が行われました。

現代の新川

1992年(平成4年)から東京都による護岸工事や耐震工事が続けられ、新川の地下には日本初の河川地下駐車場が設けられました。「新川千本桜」計画も進行中で、1000本の桜並木や遊歩道の整備が行われています。

支流と分流

支流

古川

江戸時代以前の船堀川の本流で、天然の川であるため新川と比べると蛇行しています。1973年(昭和48年)には日本初の親水公園として「古川親水公園」として整備されました。

境川

西一之江村と東一之江村の境を流れる川で、中世から存在したとされています。戦後、江戸川区により「一之江境川親水公園」として整備されました。

かつての分流

三角川

新川橋から現在の葛西三角通りを南下し、共栄橋を経て葛西駅前郵便局付近で東に流れを変える分流です。左近川とも水路でつながっていたとされています。

法蓮寺川

新渡橋から現在の宇喜田通りを経て、十八軒川に至る分流です。川から西側一帯に広がっていた用水路が道路となり、現在の宇喜田町や北葛西の区画を形作っています。

宇喜田川

宇喜田橋の西側から宇喜田川公園を経由し、現在の棒茅場通りに沿って南下した後、旧中川の河口に向かって流れていたが、荒川放水路の建設により大部分が水没しました。

十八軒川

宇喜田川から葛西中央通りに至る、現在の新田仲町通りを流れていた分流です。台風などで氾濫しやすく、戦後は江戸川区の単独事業で埋め立てが行われました。

新川の橋梁

新川には2013年現在、大小合わせて14本の橋がかけられています。最も古い橋は1916年に開通した新川橋で、最も大きな橋は自動車専用の新川大橋です。

主な橋梁

今後も新たな人道橋の建設や道路の整備が予定されています。

まとめ

新川は江戸時代から現代までの歴史と文化を持ち、水運や防災の重要な役割を果たしてきました。現在も多くの歴史的な橋梁が残り、新たな観光スポットとして注目されています。

Information

名称
新川(千本桜)
(しんかわ)

亀戸・葛西・門前仲町

東京都