勝鬨橋は、東京都中央区に位置し、隅田川に架かる橋です。この橋は晴海通り(東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)が通り、隅田川を横断しています。勝鬨橋は、日本で数少ない現存する可動橋(跳開橋)の一つです。
1980年以降、橋の可動部への送電が停止され、現在は可動部がロックされており、跳開することはありません。最近では再び跳開させようという市民運動や都議の動きがあるものの、復旧に必要な費用が膨大であることや、交通量の多さから実現の見通しは立っていません。
勝鬨橋の建設計画は明治時代から存在していましたが、実現には至っていませんでした。1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落を記念して「勝鬨の渡し」が設置され、築地と対岸の月島を結ぶ渡し舟が運航されました。その後、月島の埋め立てが進み、石川島造船所などが完成したことにより交通需要が増大し、1929年(昭和4年)の「東京港修築計画」に伴い、勝鬨橋の架橋が実現しました。
当時、隅田川を航行する船舶が多く存在していたため、橋は水運を優先し、3,000トン級の船舶が航行可能な可動橋として設計されました。橋の工事は1933年に始まり、1940年6月14日に完成しました。この橋は「皇紀2600年」を記念して計画された日本万国博覧会へのアクセス路の一環として建設され、日本の技術力を誇示するため、すべて日本人の手で設計施工されました。
戦後、橋上には都電が通行し、設置当初は1日に5回、1回につき20分程度の跳開が行われていましたが、船舶の通航量の減少とともに跳開回数は減少し、1967年には最後の通航のための跳開が行われました。その後、年に一度ほど試験のために跳開されていましたが、1970年11月29日を最後に開閉が停止され、1980年には電力供給も停止されました。
勝鬨橋の架け替えが検討されたことがありましたが、「勝鬨橋をあげる会」や都庁内の保存派の影響により、保存が決定されました。1998年からは夜間にライトアップが行われており、橋のたもとの築地側にはかつての変電所を改装した「かちどき橋の資料館」が2005年4月に開館し、勝鬨橋に関する情報を提供しています。また、定期的に橋梁設備の見学会が行われています。
2007年6月18日、勝鬨橋は清洲橋・永代橋と共に、国の重要文化財(建造物)に指定されました。2017年度には、跳開部の機械設備が日本機械学会から機械遺産に認定されました。
勝鬨橋は、両端部がアーチ橋となっており、中央部が上方に開く構造です。開く角度は最大70度、約70秒で全開となります。また、片側だけを開く操作も可能です。橋の開閉機構は、当時は大電力の整流手段が未発達だったため、電動機の制御にはワード・レオナード方式が採用されました。モーターは125馬力のものが2台設置され、通常は1台ずつ使用され、強風や降雪などの悪天候時には2台を同時に使用していました。
橋の中央を通行していた東京市電の架線も、橋の開閉に対応するように設計されていました。橋梁の歩道上部には運転室、見張室、宿直室などが設けられており、橋の操作は運転室で行われていました。
勝鬨橋の可動部は、軸上に載せられた橋本体とカウンターウェイトで構成されており、直流モーターとギアで動かす仕組みとなっています。橋が開く際には警報サイレンが鳴り、灯火信号器が赤に変わり、橋上の通行を停止させていました。
勝鬨橋は、さまざまな小説や映画、アニメ作品で登場しています。以下にいくつかの作品を紹介します。
勝鬨橋は、Creepy Nutsの楽曲「のびしろ」や、テレビCM「サントリー BOSS プレミアムTOKYO編」にも登場しています。これらの作品で勝鬨橋の存在感が強調されています。
勝鬨橋の東側の地名は「勝どき1丁目 - 6丁目」となっています。1965年の住居表示実施の際、「鬨」が当用漢字外であったため、ひらがな表記となりました。町域内には都営大江戸線の勝どき駅があり、また、勝鬨橋付近には「勝どき橋南詰」の都営バス停留所があります。