住吉神社は、東京都中央区佃に位置する由緒ある神社です。旧社格は郷社で、江戸時代から続く歴史を持つこの神社は、地元住民から厚く信仰されています。
住吉神社は、江戸時代から続く長い歴史を誇る神社です。佃島の発展とともに、地域の守り神としての役割を果たしてきました。歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれた「佃しま住吉乃祭」は、当時の神輿の海中渡御の様子を伝えています。特に住吉神社が所有する八角形の神輿は、関東では珍しいもので「八角神輿」として知られています。
住吉神社では、次の5柱の神々が祀られています。
これらの3柱は「住吉三神」と総称されます。
住吉神社の歴史は、天正年間(1573-1592年)にまで遡ります。徳川家康が上洛した際、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の住吉神社に参詣し、佃村および近隣の大和田村の漁民が家康を助けたことが、神社の創建のきっかけとなりました。
天正18年(1590年)に徳川家康が関東に移る際、佃村の漁民と神主が江戸に同行し、正保2年(1645年)には江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜され、これを埋め立てて佃島を築きました。翌年、住吉神社が創建され、佃村の発展とともに、神社も次第に重要な存在となっていきました。
元禄7年(1694年)には、佃嶋に居住する男子を中心に講組織「佃嶋氏子中」が結成されました。この組織は、その後の幾多の災害を乗り越え、神社を支え続けました。また、昭和22年(1947年)には、「佃住吉講」と改称され、現在でも地域の中心として機能しています。
昭和37年(1962年)には、東京湾の汚染が進行し、神輿の海中渡御と船渡御が一時廃止されましたが、平成2年(1990年)には28年ぶりに船渡御が復活しました。現在でも、例祭の中で最も重要な行事の一つとされています。
住吉神社の御旅所は、勝どき四丁目にあり、分社は江東区牡丹町(旧・佃町)と晴海にあります。これらの分社も、地域の信仰を集める重要な存在です。
住吉神社には、中央区指定有形文化財として「水盤舎」「陶製住吉神社扁額」「板絵着色蘭陵王図額」「木板金地着色蘆鷺図額」「住吉神社文書」などが保管されています。これらの文化財は、神社の歴史と共に、地域の文化を伝える貴重な資料となっています。
住吉神社には6つの摂社があり、それぞれが地域の信仰を集めています。
住吉神社には、中央区指定有形文化財として次のようなものがあります。
丸谷才一の短編小説『鈍感な青年』には、住吉神社の3年に一度の例祭以外の年の「かげまつり」の描写が印象深く描かれています。