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芝大神宮

(しば だいじんぐう)

芝大神宮は、東京都港区芝大門一丁目に鎮座する由緒ある神社です。一時期、准勅祭社とされ、東京十社の1社に数えられた歴史を持ち、旧社格は府社に位置します。

社名の由来

当初、芝大神宮は単に「神明」または「神明宮」と称されていました。その後、武蔵国日比谷郷に鎮座していたことから「日比谷神明(または日比谷神明宮)」、さらに飯倉御厨(現在の武蔵国飯倉庄)に鎮座していた時期には「飯倉神明(または飯倉神明宮)」と呼ばれていました。芝の地に住民が定住し町が形成されるに及び、「芝神明(または芝神明宮)」と称されるようになりました。また、伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心として「関東のお伊勢様」とも尊称されるようになりました。明治維新後の明治5年(1872年)に、正式に「芝大神宮」と改称されました。

祭神

芝大神宮では、以下の神々が祀られています。

歴史

芝大神宮の起源は、武蔵国に置かれた伊勢神宮の御厨である「飯倉御厨」に創祀された神明社に遡ります。社伝によれば、一条天皇の御代である寛弘2年(1005年)9月16日に、伊勢の内外両宮を勧請して創建されました。その後、源頼朝は元暦元年(1185年)と建久4年(1193年)の二度にわたり神領を寄進しました。特に建久4年には自ら社参し、1300余貫の地を神田として寄進しています。

中世から江戸時代まで

中世には東国武家からも厚く崇敬され、1337年には足利尊氏の実弟直義が戦捷祈願に対する報賽の書状を奉納しました。戦国時代には太田道灌の崇敬を受け、1588年には北条氏直による制札が発布されました。豊臣秀吉や徳川家康も当神社に祈願し、家康は関ヶ原の戦いに際して社参し、勝利を祈願しました。

近世から近代への変遷

江戸時代には、東海道沿線に位置する芝大神宮は多くの参詣者を集めました。江戸からの旅人にとって道中無事を祈願する場であり、参道には多くの出店が立ち並び、賑わいを見せました。また、当時の江戸では伊勢神宮への参拝が盛んに行われましたが、高額な旅費と長期間の旅程が必要であったため、代わりに芝大神宮への参拝が増加しました。

芝大神宮の現代史

明治維新後、芝大神宮は明治天皇の東幸の際に内侍所として使用され、准勅祭社に指定されました。しかし、1870年の准勅祭社制度の廃止により、東京府の府社となりました。その後も火災や関東大震災、東京大空襲などの災害に見舞われましたが、再建を重ね、現在の姿に至っています。平成17年(2005年)には、鎮座1000年を記念する「芝大神宮壱千年祭」が執り行われました。

芝大神宮の名物と文化

「芝神明の太々餅」は江戸時代から土産物として親しまれたあんころ餅です。芝大神宮の授与品として著名であり、千木筥(ちぎばこ)や生姜とともに特に有名です。千木筥は郷土玩具で、女性の衣服が増えるとされ、雷除けとしても知られています。芝大神宮の参道では、江戸時代から多くの店が並び、芝居や富籤興行などの風俗店も賑わいを見せていました。

祭祀と神職

芝大神宮の神職は、明治以前は神主家2家と別当職(僧侶)の三頭体制で社務を執行していました。神主職は西東家が世襲し、11世紀末から12世紀初頭にかけて別家を立てて継承されてきました。神仏分離政策により、明治元年に別当職が廃され、神主が首座となり、その後も再編が続きました。現在では、神社本庁に参加しているため、神職は現代においてもその役割を果たしています。

まとめ

芝大神宮は、東京の中心地にありながらも、長い歴史と豊かな文化を持つ神社です。伊勢神宮の祭神を祀る関東のお伊勢様として多くの人々に親しまれ、江戸時代から現代に至るまで、その歴史と文化が受け継がれています。訪れる際には、その由緒ある歴史に思いを馳せながら、境内を巡るのも一興です。

Information

名称
芝大神宮
(しば だいじんぐう)

銀座・日本橋・月島

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