東京都 » 東京都内(23区) » 上野・御徒町

こんにゃくえんま(常光山 源覚寺)

(蒟蒻閻魔 げんかくじ)

源覚寺は、東京都文京区小石川に位置する浄土宗の寺院であり、一般的には「こんにゃくえんま」として広く知られています。山号は常光山といい、長い歴史を持つこの寺院は、多くの信仰を集めています。

歴史

源覚寺は、寛永元年(1624年)に定誉随波上人(後に増上寺第18世)が創建したと伝えられています。本尊には阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)が祀られており、特に江戸時代の徳川秀忠や徳川家光から篤く信仰を受けていました。しかし、江戸時代には四度の大火に見舞われ、とりわけ天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失してしまいました。それでも、こんにゃくえんま像や本尊は奇跡的に難を逃れ、現在までその姿をとどめています。

本堂の再建は明治時代に行われましたが、その後も関東大震災や第二次世界大戦の災害からは免れました。しかし、老朽化が進んだため、現在の本堂は1979年に再建されたものです。また、源覚寺は小石川七福神のひとつであり、毘沙門天も祀られています。毎年7月にはほおずき市が開催され、多くの参拝者が訪れます。このほおずき市は、近隣の伝通院の朝顔市とともに親しまれています。

こんにゃくえんま

源覚寺の別称にもなっている「こんにゃくえんま像」は、鎌倉時代の運慶派の仏師によって作られたと推定される、像高100.4センチメートルの木造閻魔王坐像です。この閻魔王像は、文京区指定有形文化財に指定されており、文京区内に現存する仏像の中でも特に古いものの一つです。特に右目が黄色く濁っているのが特徴で、その由来には以下のような伝説があります。

宝暦年間(1751年–1764年)、一人の老婆が眼病に苦しんでおり、毎日閻魔大王像に祈願を捧げていました。すると満願の夜、老婆の夢に閻魔大王が現れ、「我、日月にも等しい両眼のうち一つをえぐり取って汝に授くべし」と告げました。その後、老婆の眼病はたちまち治り、この老婆は感謝の意を表すため、自身の好物であったこんにゃくを断ち、閻魔大王に供え続けました。

この故事により、閻魔王像は「こんにゃくえんま」や「身代わり閻魔」として信仰を集めるようになりました。現在でも、多くの人々が眼病治癒を願い、この閻魔像にこんにゃくを供えています。また、毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われ、参拝者で賑わいます。

史跡・施設

本堂

源覚寺の本堂は、1979年に再建されたものであり、歴史的な趣を残しつつ、現代的な耐久性を備えています。

閻魔堂

閻魔堂には、「こんにゃくえんま」として親しまれる閻魔王像のほか、地蔵菩薩像や奪衣婆像が祀られています。閻魔堂は老朽化が進んでいたため、2003年に再建されました。

汎太平洋の鐘

「汎太平洋の鐘」は元禄3年(1690年)に完成したもので、元々は源覚寺の所有物でしたが、昭和12年(1937年)に当時日本領だったサイパンの南洋寺に移されました。この鐘はサイパンの人々に時を告げる役割を果たしていましたが、第二次世界大戦中に行方不明となっていました。戦後の1965年、アメリカ・テキサス州で発見され、1974年に源覚寺に返還されました。現在では、毎年大晦日に除夜の鐘として使用されています。

南洋群島物故者慰霊像

南洋群島物故者慰霊像は、第二次世界大戦でサイパンなど南洋群島で犠牲となった人々を追悼するために建立された菩薩像です。

塩地蔵尊

塩地蔵尊は、参拝者が地蔵尊の自身治したい部分に塩をつけることで、ご利益があると信じられています。

毘沙門天

源覚寺には、小石川七福神のひとつとして毘沙門天が祀られています。

墓所

源覚寺の墓所には、以下の著名な人物が眠っています。

アクセス

源覚寺の所在地は、東京都文京区小石川2-23-14です。アクセス方法は以下の通りです。

拝観は日中の時間帯に限り、無料で行えます。

Information

名称
こんにゃくえんま(常光山 源覚寺)
(蒟蒻閻魔 げんかくじ)

上野・御徒町

東京都