概要
吉祥寺は、群馬県の永源寺の末寺であり、さらに神奈川県の最乗寺の孫末寺に位置付けられています。寺院としての歴史は古く、室町時代にさかのぼります。
創建と歴史
吉祥寺の創建は、室町時代の1458年(長禄2年)に遡ります。太田持資(太田道灌)が江戸城内に青巌周陽を開山に招き、創建されました。伝承によれば、道灌は江戸城築城の際、和田倉付近の井戸から「吉祥」と刻まれた金印を発見し、それを瑞祥と見立てて青巌を招き、吉祥寺を建立したとされています。当初は江戸城内の西の丸にありましたが、戦国時代の混乱や後の徳川家康の関東入府に伴い、駿河台(現在の都立工芸高校付近)に移転しました。その後、明暦の大火と江戸大火の影響で現在の駒込に再び移転しました。
境内の発展と学問の中心
江戸時代、吉祥寺の境内には後の駒澤大学となる学寮「旃檀林(せんだんりん)」が設置されました。旃檀林は学問所として大いに栄え、特に漢学の研究が盛んでした。当時、幕府の学問所「昌平黌」と並び称され、江戸時代中期以降は特に漢学が重視されました。そのため、僧侶以外にも、寺院に縁のある旗本の子弟や寺侍などが学びに訪れました。
寺院の損失と復興
吉祥寺はかつて七堂伽藍を誇っていましたが、東京大空襲により多くの建物が焼失しました。現在、山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)だけが当時の姿を留めています。しかし、その後の復興により、本堂や客殿、庫裏などが再建されました。
墓所と著名な埋葬者
吉祥寺は、多くの譜代大名や旗本の菩提寺であり、歴史的に重要な人物が埋葬されています。松前氏広を始めとする多くの大名の墓があり、また、一般には国許の菩提寺に葬られるはずの遺骸が、何らかの事情でこの吉祥寺に埋葬されていることもあります。しかし、無縁墓所も多く、将来的に整理される可能性も指摘されています。
また、関東大震災後の墓石の整理の際には、大名や旗本の古い墓石が多数打ち捨てられましたが、日蓮宗系の宗教団体「日徳海」の手によって、他の駒込周辺の寺院からの旧墓石と共に、現在の稲城市のありがた山へ運ばれました。
主な埋葬者
以下に、吉祥寺に埋葬されている主な著名人を挙げます:
- 麻生藩主新庄氏歴代
- 新発田藩主溝口氏 - 伯爵溝口直正
- 壬生藩主鳥居氏
- 七日市藩主前田氏 - 特に前田利尚の墓が有名です。
- 福江藩主五島氏 - 合葬されています。
- 松前藩主松前氏
- 備中松山藩主板倉氏 - 板倉勝静
- 柳川藩二代藩主田中忠政
- 鳥山新三郎 - 幕末の儒者で吉田松陰とも交流がありました。
- 榎本武揚
- 二宮尊徳の墓碑
- 清水かつら - 童謡詩人
- 川上眉山(小説家)
- 町村信孝 - 政治家
- 中根半嶺 - 医師、書家
- 佐々木良作 - 政治家
文化財
重要文化財
吉祥寺には以下の重要文化財があります:
- 絹本著色翠竹図 顧安筆(元代)
- 刀 無銘 伝 国行
文京区指定有形文化財
また、吉祥寺の経蔵も文京区指定有形文化財として指定されています。
アクセス情報
吉祥寺へのアクセスは、東京メトロ南北線の本駒込駅から徒歩5分です。
その他
現在の武蔵野市吉祥寺の地名は、明暦の大火で当寺の門前町の住民が住居を失い、五日市街道沿いの現在地に移住したことに由来します。