弥生美術館は、東京都文京区弥生に位置する私立美術館で、1984年6月に弁護士の鹿野琢見によって創設されました。この美術館は、鹿野が収集した戦前の叙情挿画家、高畠華宵や竹久夢二などの作品を中心とした出版美術コレクションを展示しています。高畠華宵の作品をはじめ、明治、大正、昭和の挿絵画家によるレトロでロマンティックな作品が展示される場所として、多くの美術愛好家に親しまれています。
弥生美術館では、年に4回の企画展が行われ、1階と2階のフロアで様々なテーマの展示が開催されます。3階には高畠華宵の作品が常設展示されており、来館者はその魅力的な世界を堪能できます。また、1990年には隣接する竹久夢二美術館が開館され、夢二の作品はそちらで展示されています。両美術館は内部で連絡通路がつながっており、一つの入館券で両方の美術館を見学することが可能です。
弥生美術館の初代館長は、竹久夢二の次男である竹久不二彦が務めました。現在(2023年時点)、鹿野琢見の次女である服部聖子が館長を務めています。また、2009年には皇后美智子様が来館し、「創刊100周年記念 日本で最も愛された少女雑誌『少女の友』展」をご覧になられました。2016年には、『日本の妖美 橘小夢展』により日本アート評価保存協会から「第3回秀逸企画賞」を受賞するなど、高く評価されています。
1990年、鹿野琢見によって弥生美術館に隣接する形で竹久夢二美術館が開設されました。この美術館では竹久夢二の作品が展示されており、弥生美術館と連絡通路でつながっています。これにより、訪問者は一つの入館券で両美術館を行き来し、双方の展示を楽しむことができます。
弥生美術館には、多岐にわたる収蔵品があります。
高畠華宵、加藤まさを、蕗谷虹児、一木弴、岩田専太郎、須藤しげる、木村荘八、小村雪岱、岡本帰一、松本かつぢ、嶺田弘、深谷美保子、田中良、中原淳一、山口将吉郎、伊藤彦造、樺島勝一、初山滋、武井武雄、黒崎義介、河野通勢、鏑木清方、北野恒富、杉浦非水
少女の友、少女、少女クラブ、主婦之友、新青年、少年倶楽部、キング、婦人世界、コドモノクニ、面白倶楽部、新少女、講談倶楽部、ひまわり
伊藤博文、犬養毅、石川啄木、岡倉天心、小川芋銭、小堀遠州、小林一茶、伊達政宗、高杉晋作、田中正造、土井晩翠、野口雨情、藤田東湖、吉田松陰、吉川英治
高畠華宵(たかばたけ かしょう、1888年4月6日 - 1966年7月31日)は、日本の画家で、本名は高畠幸吉です。彼は愛媛県宇和島市に生まれ、京都市立美術工芸学校日本画科を卒業しました。大正から昭和初期にかけて、彼の絵は少年少女の間で絶大な人気を誇り、そのスタイルは「華宵風」として知られるようになりました。
高畠華宵の作品は、アール・ヌーボーやユーゲントシュティール、特にオーブリー・ビアズリーの影響を受けたシャープなペン画が特徴です。彼の描く美少年や美少女の挿絵や美人画は、一世を風靡し、竹久夢二と並ぶ人気画家となりました。彼はまた、自身の意匠による便箋や封筒の発売など、現代でいうメディアミックス的なプロモーションも展開し、時代の流行を牽引しました。
戦後、高畠は一時アメリカに渡りましたが、経済的な困難と健康問題により帰国。その後は、かつての栄光の日々とはかけ離れた生活を送っていました。しかし、1960年代に再評価され、首都圏での回顧展が開催されるなど、再び注目を浴びました。1966年に鹿野琢見と加藤謙一に見守られながら生涯を閉じました。
竹久夢二(たけひさ ゆめじ、1884年9月16日 - 1934年9月1日)は、日本の画家・詩人で、本名は竹久茂次郎です。彼は数多くの美人画を残し、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンを代表する画家として知られています。また、詩や歌謡、童話の創作など文筆の分野でも活躍し、その多才ぶりを発揮しました。
夢二は、生涯を通じて多様な表現形式を試みましたが、その作品は特に「夢二式美人画」として知られる独特の美意識に基づいています。彼の作品は、和洋を問わず様々な技法で描かれ、当時の大衆文化と深く結びついていました。21世紀に入ってもその作品は多くの美術館で展示され続け、多くのファンを魅了し続けています。
弥生美術館は、これまでに多くの企画展を開催してきました。これらの企画展に関連する書籍も多数出版されています。以下は、弥生美術館が関与した主な出版物の一覧です。
弥生美術館へのアクセスは非常に便利です。最寄り駅は以下の通りです。