横山大観記念館は、東京都台東区池之端にある記念館で、近代日本画の巨匠として知られる横山大観を記念して1976年(昭和51年)に開設されました。記念館は公益財団法人横山大観記念館によって運営されており、その運営には横山大観の子孫が理事として関わっています。
横山大観記念館は、大観が生前に住んでいた旧居を一部改造して設立されました。この地には、大観が太平洋戦争中の一時期を除き、1909年から1958年に亡くなるまで居住し、作品の制作を行っていました。ただし、現存する建物の大半は、太平洋戦争後の1954年に建築されたものです。
館内には、横山大観の作品を始め、彼の友人である菱田春草(ひしだ しゅんそう)、小林芋銭(こばやし うせん)、そして今村観山(いまむら かんざん)などの作品も展示されています。さらに、大観が生前に愛用していた美術品も見ることができます。展示品は約3か月ごとに入れ替えが行われるため、何度訪れても新たな発見があります。
横山大観記念館は、横山大観の作品の鑑定機関としても知られています。横山大観の作品の真贋を確認したい場合には、同館が所定の鑑定を行うことができます。
1994年、横山大観記念館の建物は「横山大観旧居」として台東区の史跡に指定されました。この指定により、地域の歴史的な価値が認められることとなりました。
さらに、2017年2月には「横山大観旧宅及び庭園」として国の史跡および名勝にも指定されました。この指定により、横山大観の芸術的活動が行われた場所としての重要性が全国的に認識されることになりました。
横山大観記念館には、国の重要文化財として指定されている「木造不動明王立像」も所蔵されています。この立像は、彫刻作品としての芸術的価値が高く、記念館の見どころの一つです。
横山 大観(よこやま たいかん、1868年 - 1958年)は、日本の美術家であり、特に日本画の巨匠として知られています。本名は横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。旧姓は酒井で、幼名は秀松でした。横山大観は、線描を抑えた独自の技法「朦朧体(もうろうたい)」を確立し、近代日本画壇に大きな影響を与えました。
1868年、常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)で、水戸藩士の父・酒井捨彦の長男として生まれました。東京府立一中と東京英語学校で学びながら、画家の渡辺文三郎に師事し、鉛筆画を学びました。1888年、母方の縁戚である横山家の養子となり、横山姓を名乗るようになります。翌年、東京美術学校に入学し、岡倉天心や橋本雅邦、黒川真頼に師事して日本画を学びました。
卒業後は京都に移り、仏画の研究を行い、同時に京都市立美術工芸学校の教員としても活躍しました。この頃から雅号「大観」を用い始めます。1896年には母校の東京美術学校で助教授に就任。しかし、岡倉天心への排斥運動により、助教授を辞任し、天心が設立した日本美術院に参加しました。
大観は日本美術院で春草と共に西洋画の技法を取り入れた新たな画風を模索し、「朦朧体」と呼ばれる独自の技法を発表します。この画風は当初、国内の保守的な画壇から批判を受けましたが、海外での展覧会を通じて高く評価されるようになり、日本国内でもその価値が認められるようになりました。
その後も日本画壇の重鎮として活動を続け、1937年には第1回文化勲章を受章。戦後も日本美術院の会員として活躍しましたが、1951年に辞任。1958年に89歳で亡くなるまで、文化の発展に大きく寄与しました。彼の功績により、正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を追贈されました。