青ヶ島は東京都に属する伊豆諸島の最南端に位置する火山島で、日本で最も人口が少ない市町村として知られています。この島は、人口約162人(2024年現在)という小さなコミュニティを形成しており、全世帯が住所無番地という特異な形態を持っています。青ヶ島はその独自の地形と自然環境から、まるで「海上のマチュピチュ」や「東洋のマチュピチュ」とも称される、魅力的で神秘的な観光地です。
この展望広場からは、黒潮の流れと青ヶ島の住民が上陸や荷揚げに使用していた神子ノ浦を一望することができます。断崖絶壁の道を降りることは困難ですが、展望広場からの眺めは格別です。
「尾山展望公園」は、青ヶ島の外輪山北側に位置する標高400メートルの頂上にあり、、青ヶ島の二重カルデラの地形を一望でき、島内で最も景色の良い場所として知られています。ここからは、丸山火砕丘や周囲の雄大な自然景観を一望することができます。また、晴れた日には太平洋の広がりを見渡すこともでき、絶景スポットとして観光客に人気です。ハイキングコースも整備されており、夜には星空を観察できるスポットとしても人気があります。
標高423mの大凸部は、青ヶ島の最高地点であり、外輪山の北西に位置しています。ここからも、島全体の二重カルデラの雄大な景色を楽しむことができます。
地熱を利用したサウナと、海水を沸かして作った風呂を楽しめる温泉施設です。自然の力を活かしたこのサウナは、地熱で温められた水道水が必然的に温水になっている点が特徴です。
このキャンプ場には、炊事場やトイレ、地熱蒸気「ひんぎゃ」を利用した調理釜が設置されています。事前予約と当日申請が必要で、飲料水は村役場で調達する必要があります。自然を感じながら、独特のキャンプ体験ができる場所です。
池之沢は、青ヶ島のカルデラ内に広がる領域で、かつては大小二つの池が存在していたことからその名が付けられました。この場所には地熱を利用した「ひんぎゃ(噴気孔)」が多く点在し、特異な火山地形と豊かな自然が広がっています。池之沢の東南部にはかつて集落があった「浜路ヶ平」もあり、歴史の痕跡を感じることができます。
丸山は1785年の天明の大噴火によって形成された標高223メートルの内輪山で、その周囲には「丸山遊歩道」が整備されています。この道を歩けば、内輪山を一周することができ、途中には「富士様」と呼ばれる神社もあります。散策を通じて、青ヶ島の自然の息吹を感じながら、火山島ならではのダイナミックな景観を楽しむことができます。
青ヶ島の総鎮守である大里神社は、急斜面に300段の丸石を敷き詰めた参道が特徴です。島民にとって重要な神社であり、訪れる人々にも神聖な雰囲気が漂います。
祟り神を祀る神社で、1757年に島で発生した事件の加害者、浅之助が祀られています。参道は急斜面に石段が積み上げられ、通行困難ですが、尾山展望台からもアクセスできます。
全島が再び住むことができるようになった際、船頭の岩松が航海の無事を感謝して金比羅神を祀りました。
天明の大噴火で命を失った犠牲者たちを祀る神社です。
青ヶ島唯一の仏教寺院であり、八丈島にある浄土宗宗福寺の末寺です。しかし、無住の寺としてひっそりと存在しています。
青ヶ島最大の祭りである「牛祭り」は毎年8月10日に開催されます。この日は島外に住む出身者も多く帰省し、島全体が賑わいます。祭りの際に販売される「牛Tシャツ」は、毎年異なるデザインで作成され、島外にもファンが多いです。
青ヶ島で作られる焼酎「青酎」は、地元の特産品として有名です。さつまいもを原料としたこの焼酎は、独特の風味を持ち、島内の民宿でも楽しむことができます。
青ヶ島で提供される「島寿司」は、酢飯に練り辛子を加え、醤油漬けにした地元の魚を乗せたものです。目近魚や鮪、金目鯛などの魚が使用され、島の食文化を体験することができます。
青ヶ島特産の「ひんぎゃの塩」は、地熱で煮詰められた海塩で、独自の風味があります。この塩を使ったドロップやクッキー、辛子だれも人気です。
青ヶ島周辺で獲れた脂の乗った飛魚を燻製にした「とびくん」も、島の特産品として知られています。
青ヶ島の主要な産業は、公共事業や農業です。稲作ができないため、さつまいもが栽培され、これを原料にした芋焼酎が特産品として生産されています。また、近年では、神農椰子や切り葉類の生産が増えており、黒毛和牛の繁殖も行われています。
青ヶ島は本州から遥か南方にあり、最寄りの八丈島から約60キロメートル南に位置しています。島へのアクセスは非常に限定的で、すべての交通手段は八丈島を経由する必要があります。主なアクセス方法としては、連絡船「あおがしま丸」や「くろしお丸」、およびヘリコミューター「東京愛らんどシャトル」があります。しかし、天候による欠航が多く、またヘリコプターの定員も限られているため、往来は容易ではありません。このため、観光客が島を訪れることは年間900人から1800人程度と少ない状況です。
青ヶ島へのアクセスは、八丈島からの船便が週4~5往復あります。しかし、港湾が天候に大きく左右されやすいため、就航率が低くなっています。
1993年からは、八丈島と青ヶ島を結ぶヘリコミューターが運航されています。所要時間は約20分と短く、就航率も高いです。観光客にとっても、ヘリコプターでのアクセスは非常に便利です。
青ヶ島内には鉄道やバスが存在しません。観光客は、レンタカーを利用するか、民宿の送迎サービスを利用するのが一般的です。
2010年代に入り、インターネットを通じて青ヶ島の存在が世界的に認知されるようになりました。特に、アメリカの著名なウェブサイトで取り上げられたことで、世界中から観光客や取材班が訪れるようになりました。これにより、限られた交通機関の予約がさらに困難となり、観光客の増加が島民の生活にも影響を及ぼしています。観光目的で訪れる際には、事前に十分な計画と予約が必要です。
青ヶ島は独特な地形を持ち、特にカルデラと呼ばれる火山の噴火口が見どころです。島の中央には丸山火砕丘があり、その周囲を外輪山が取り囲んでいます。最高地点は標高423メートルの大凸部であり、島全体が切り立った崖に囲まれ、砂浜は存在しません。また、島内には地熱蒸気が噴き出す「ひんぎゃ」と呼ばれる場所が点在しており、これらは青ヶ島の自然の力強さを感じさせる景観を作り出しています。
青ヶ島の外輪山には、尾山展望公園があり、ここからは島全体を一望することができます。標高400メートルの頂からは、雄大な太平洋の眺望が広がり、特に晴れた日には島の周囲を巡る美しい景色を楽しむことができます。また、丸山火砕丘周辺には遊歩道が整備されており、富士様と呼ばれる神社を訪れながら、火口を一周するハイキングを楽しむことができます。
青ヶ島には「青酎」と呼ばれる島特産の焼酎があり、その味わいは杜氏ごとに異なる個性豊かなものです。青酎は島内の限られた場所でしか手に入らず、訪れた際にはぜひ試してみるべき逸品です。しかし、杜氏の高齢化や後継者不足により、製造が中止されている銘柄もあるため、希少な体験となるでしょう。
青ヶ島は本州の東京都区部から358.4km南に位置し、最も近い有人島である八丈島からは68km南にあります。村は島の北部にあり、西側の「西郷(にしごう)」と東側の「休戸郷(やすんどごう)」という二つの集落で成り立っています。しかし、これらの名称は公式な地名ではなく、島内では「青ヶ島村無番地」として一括りにされており、細かな住所表記は存在しません。
青ヶ島は温暖湿潤気候に属しており、本州よりも温暖ですが、沖縄やハワイほどの常夏の気候ではありません。島は孤立しており、天候の変動が激しく、時には海からの強風が吹き荒れ、自動車が飛ばされることもあります。また、火山活動が続いている島であり、気象庁によって「活火山ランクC」に指定されています。青ヶ島の特異な地形であるカルデラと外輪山が、この火山活動によって形成されたことを物語っています。
青ヶ島は火山島であり、主に二つの火山体で構成されています。北部の「黒崎火山」と、それを覆う南部の「主成層火山」です。主成層火山の頂上には直径約1.7km×1.5kmの小カルデラ(池之沢火口)があり、その内部には「丸山火砕丘」と呼ばれる中央火口丘が存在します。島の最高地点は、外輪山の北西部分に位置する「大凸部(おおとんぶ)」で、標高423メートルです。
青ヶ島は外周を50メートルから200メートルの断崖絶壁に囲まれており、砂浜は存在しません。この険しい地形が島の自然の荒々しさを象徴しています。
青ヶ島に人がいつから定住したのかは不明ですが、伝説では男女が同じ島に住むと神の祟りがあるとされ、かつては女人禁制の島であったと伝えられています。歴史上の記録に残る青ヶ島は15世紀頃からで、当時は海難事故の記録が多く残っています。
青ヶ島の歴史の中で最も特筆すべき出来事は、1785年に発生した天明の大噴火です。この噴火では、島全体が火山灰や溶岩で覆われ、全家屋63戸が焼失しました。この災害により、島民の大半が八丈島に避難しましたが、避難が間に合わず約130名が亡くなったとされています。噴火後、島は約40年間無人となりましたが、1824年に名主・佐々木次郎太夫らが島に戻り、再び定住が始まりました。
青ヶ島は火山活動によって形成された島であり、第四紀火山として最近1万年間に複数の火山活動を記録しています。約3,000年前には大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し、全島が火砕サージで覆われました。その後、1785年の天明の大噴火では、丸山火砕丘が形成され、池之沢火口が誕生しました。この噴火は島の歴史に大きな影響を与え、約40年間にわたって島は無人となりました。
それ以来、青ヶ島で顕著な火山活動は記録されていませんが、火口付近や丸山周辺には現在も噴気が見られます。島全体が火山活動の痕跡を残し、その地形や温泉などが観光資源となっています。
青ヶ島は温暖湿潤気候に属しており、四季を通じて比較的温暖な気候です。しかし、島は孤立しているため天候が変わりやすく、特に強風が吹き荒れることが頻繁にあります。自動車が飛ばされるほどの風が吹くこともあり、訪れる際には天候に十分注意する必要があります。また、天候によっては交通機関の欠航が続くこともあるため、予備の日程を考慮した計画が推奨されます。
青ヶ島のインフラは非常に限られており、電力は島北部の集落にある内燃力発電によって供給されています。また、教育機関も青ヶ島小中学校までしかなく、高校以上の教育を受けるためには島を離れる必要があります。観光客として訪れる場合、島民の生活に配慮しつつ、限られたリソースを利用することが求められます。
青ヶ島は、日本の中でも特に秘境と呼ばれる場所であり、訪れることでその独自の自然環境と文化に触れることができます。しかし、アクセスの困難さや限られたインフラストラクチャー、そして島民の生活への配慮が求められるため、事前に十分な準備と理解が必要です。静寂と冒険を求める旅行者にとって、青ヶ島は他に類を見ない特別な体験を提供してくれるでしょう。