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青ヶ島村

(あおがしまむら)

東京都の秘境

青ヶ島村は、東京都の伊豆諸島南部に位置する青ヶ島を含む村で、東京都八丈支庁の所管区域に属しています。この小さな村は、他の島嶼部と同様に郡には所属しておらず、東京都の特別区から最も離れた場所にあります。

概要

青ヶ島村の人口は2024年5月1日時点で162人で、日本の地方自治体の中で最も少ない人数を誇っています。青ヶ島は火山島であり、二重カルデラという特異な地形を持っています。2014年には、アメリカの観光保護NGO「One Green Planet」により『死ぬまでに見るべき世界の絶景13』の一つとして紹介されました。さらに、2016年7月5日にはスミソニアン博物館が青ヶ島村を『活火山内に眠る日本の街』という記事で取り上げ、世界中から観光客や取材班が訪れるようになりました。

地理とアクセス

青ヶ島は東京都区部から南へ約358.4km、最も近い有人島である八丈島から南へ約68km離れた場所に位置しています。島内には西側の「西郷(にしごう)」と東側の「休戸郷(やすんどごう)」という二つの集落があり、これらは行政上の公式地名ではなく、地元で呼ばれる通称です。住所はすべて「青ヶ島村無番地」となっており、大字や小字、地番は存在しません。

気候

青ヶ島の気候は島内北緯32度28.0分、東経139度45.6分、標高272メートル地点にある気象庁のアメダス観測点で観測されています。この観測点は2014年7月31日に設置され、降水量のみを測定しています。まだ平年値は出ていませんが、2016年以降の年降水量のデータが揃っています。近隣の八丈島の降水量と比較しても、降水量が多いことがわかります。

歴史

天明の大噴火と避難

1785年(天明5年)の4月18日から始まり、5月頃まで続いた天明の大噴火は、青ヶ島の最も新しい噴火記録です。当時、島には327人の住民がいましたが、そのうち202人が八丈島からの救助によって避難しました。しかし、避難が間に合わなかった残りの住民は噴火に巻き込まれ、命を落としました。避難民は八丈島で生活を送ることになりましたが、不作続きの天明の大飢饉により、現地の島民も食べ物に困る状況にあり、避難民たちは流人以下の待遇を受けることもありました。

帰島と再定住

1817年(文化14年)、佐々木次郎太夫が名主となり、八丈島からの帰島計画が着々と進められました。そして、1824年(文政7年)には全島民が青ヶ島への帰還と再定住を果たし、1835年(天保6年)には島の再興が宣言されました。この時点での島の人口は241名(男133・女108名)で、定期船「還住丸」の名称は、この歴史的出来事に由来しています。

戦後の行政と復興

1946年(昭和21年)、太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により一時的に日本の行政から切り離された青ヶ島村は、同年3月22日に日本の行政下に復帰しました。その後、1974年(昭和49年)には村章が制定され、2014年にはアメリカの環境保護NGO「One Green Planet」により、『死ぬまでに見るべき世界の絶景13』の一つとして青ヶ島が紹介されました。

人口と行政

青ヶ島村は、2020年10月1日時点の国勢調査によると、日本で最も人口が少ない地方公共団体です。人口の約半分は村外から来た村役場職員や学校教員、建設作業員とその家族で占められており、平均年齢は離島としては比較的若い40歳代前半です。

村議会と選挙

青ヶ島村の村議会は6人で構成され、2025年9月5日に任期が満了する予定です。また、青ヶ島村が属する東京都の島部選挙区から選出される都議会議員は1議席です。1945年から1956年まで、青ヶ島村は僻地で通信手段がないとの理由で、国政選挙や都政選挙に参加することができませんでした。しかし、1956年に無線電話回線が開通し、以後は国政選挙や都政選挙に参加できるようになりました。

教育と公共施設

青ヶ島村には青ヶ島村立青ヶ島小中学校があり、島民が里親を引き受けて1年間通学する「留学」制度があるため、学校は休校を免れています。公共施設としては、「おじゃれセンター」があり、診療所や保健センター、保育所を備えた福祉医療施設として機能しています。

観光と自然

青ヶ島は二重カルデラの地形や美しい自然環境で知られ、特に火山活動が生んだ独特の地形は、多くの観光客を魅了します。また、火山の影響で温泉も楽しむことができるため、自然愛好家や探検家にも人気のスポットです。しかし、アクセスが困難であるため、訪れる際は事前にしっかりとした計画を立てることが重要です。

観光地と見どころ

青ヶ島村では、観光施設の整備が進んでおり、2010年代中頃にはいくつかの著名なWebサイトで紹介されたことをきっかけに、世界中から訪れる観光客が増加しました。ここでは、青ヶ島の主な観光スポットをいくつか紹介します。

神子ノ浦(みこのうら)展望広場

神子ノ浦展望広場からは、黒潮の流れと、かつて青ヶ島の住民が上陸や荷揚げのために使っていた神子ノ浦の景色を一望することができます。残念ながら、神子ノ浦へ続く断崖絶壁の道は現在通行不能となっています。

尾山展望公園

尾山展望公園からは、青ヶ島の象徴である二重カルデラの地形を一望できます。周辺にはハイキングコースが整備され、星空観察用の照明も設置されているため、夜間には美しい星空を楽しむことができます。

大凸部(おおとんぶ)

青ヶ島の最高地点である標高423mの大凸部からも、二重カルデラの地形を一望することができ、尾山展望公園と同様に壮大な景色を楽しめます。

ふれあいサウナ

地熱を利用したふれあいサウナは、天然の地熱を利用して温まることができる温泉施設です。温泉としては成分を含まないものの、地熱によって自然に温められた温水が使われています。

青ヶ島村キャンプ場

青ヶ島村キャンプ場には炊事場、竈(かまど)、地熱蒸気噴気孔「ひんぎゃ」を利用した調理釜、トイレが備えられています。利用には事前予約が必要で、飲料水は事前に用意するか、村役場の水道まで汲みに行く必要があります。

社寺と歴史

青ヶ島には歴史的な社寺や旧跡も多く存在し、島の歴史と信仰に触れることができます。

大里神社

青ヶ島の総鎮守である大里神社は、急な斜面に300段の丸石を敷き詰めた参道が特徴です。この急な参道を登ると、島全体を見守るように建つ神社にたどり着きます。

東台所(とうだいしょ)神社

東台所神社は、1757年に名主の息子浅之助が錯乱し、青ヶ島民7名を斧で殺害した事件に由来し、その浅之助が祟り神として祀られています。参道は急斜面に丸石が積み上げられたもので、通行は困難ですが、尾山展望台からの道も利用できます。

金比羅神社

還住(全島帰還)の際、無事に航海を終えた船頭の岩松が報恩のために祀った神社です。航海の守り神として、今も信仰されています。

渡海神社

天明の大噴火の犠牲者を祀る渡海神社も、青ヶ島の歴史を感じさせる場所のひとつです。

清受寺

清受寺は青ヶ島唯一の仏教寺院で、八丈島大賀郷の宗福寺(浄土宗)の末寺とされています。しかし、現在は無住の堂が建っているだけです。

祭りと文化

牛祭り

青ヶ島で毎年8月10日に行われる牛祭りは、島内最大の祭りです。この日は青ヶ島外にいる出身者が大勢帰省し、島内が一斉に賑やかになります。牛祭りの実行委員会が作成する「牛T」は、毎年異なるデザインで制作され、島外にもファンが多いことでも知られています。

特産品

青ヶ島の特産品には、地元の自然を活かした様々な製品が揃っています。これらの特産品は「青ヶ島生産者協議会」などによって製造され、村内外で販売されています。

青酎

青ヶ島で生産されている焼酎「青酎」は、芋や麦を原料にした島特有の味わいを持つ焼酎です。2017年には「青酎特区」が認定され、希少性の高い焼酎の原酒「初垂れ」が販売可能になりました。

ひんぎゃの塩

三宝港で汲み上げられた海水を、青ヶ島村製塩事業所で火山の地熱を利用して煮詰めて作られる「ひんぎゃの塩」も人気の特産品です。地熱の力を利用した製品は、島の自然の恵みを感じさせます。

島寿司

青ヶ島の島寿司は、酢飯に練り辛子を加え、醤油漬けにした近海魚の刺身をのせたもので、伝統的な味を楽しむことができます。特に目近魚(めじな)を使った寿司が有名です。

産業と生活

青ヶ島村の産業は主に公共事業や農業で成り立っています。村民の多くは村役場の職員や建設作業員として働いており、農業ではサツマイモが主な作物として栽培されています。サツマイモは昔から主食として利用され、乾燥芋にして保存食とされてきました。

地熱の利用

青ヶ島では、地熱を利用した生活が行われています。「ひんぎゃ」の蒸気を利用した調理や、地熱で温められたサウナなど、自然エネルギーを活用する工夫が多く見られます。

畜産業

島では黒毛和種の子牛が飼育されており、これらは本土へ出荷されています。しかし、近年では飼養者の高齢化により、その数は減少しています。

電力と水の確保

1966年に東京電力(現・東京電力パワーグリッド)によって青ヶ島内燃力発電所が設置され、島内に電気が供給されるようになりました。また、水道については、外輪山の山肌にコンクリートを敷き、雨水を貯水場に集めて水を確保しています。

宿泊施設と交通

青ヶ島にはいくつかの民宿や宿泊施設があり、訪れる観光客に快適な滞在を提供しています。主な民宿には「御宿為朝」「民宿マツノ」「丸山荘」「おばあちゃんち」などがあります。

交通手段

青ヶ島への交通手段としては、船便とヘリコプターがあります。船は三宝港から八丈島に向かうもので、ヘリコプターは伊豆諸島開発によって運航されていますが、どちらも天候によって欠航することがあるため、注意が必要です。

このように、青ヶ島村はそのユニークな歴史と自然環境で多くの人々を魅了しており、東京都の秘境として今後も注目され続けることでしょう。

Information

名称
青ヶ島村
(あおがしまむら)

伊豆七島・小笠原

東京都