東京都 » 伊豆七島・小笠原

三原山

(みはらやま)

三原山は、東京都大島町の伊豆大島に位置する活火山です。伊豆大島は、東京から南へ約100kmに位置する島で、美しい自然と火山活動で有名です。三原山はその中央にそびえ、標高758mの三原新山が最高峰となっています。この山は観光地としても知られ、火口周辺を散策できる遊歩道が整備され、多くの観光客が訪れます。

三原山の構造

伊豆大島は玄武岩質マグマの噴出によって形成された成層火山で、島の中央に幅2500m、長さ3200mのカルデラを持っています。このカルデラは、複数のカルデラ地形が複合してできたと考えられています。三原山はそのカルデラの南西部に位置し、中央火口丘(内輪山)として存在しています。

火山の特徴

三原山は主に玄武岩質のマグマによるスパター、スコリア、火山弾、火山灰の堆積物で形成されています。カルデラ床からの高さは最大で約150m、火口の直径は約800mです。火口内部は1986年の噴火で溶岩により埋め尽くされ、現在はほぼ平坦な地形となっていますが、南部には径約300m、深さ約200mの竪坑状火孔が残されています。この火孔は溶岩噴出後、数年から十数年の間に陥没し、同じ規模の火孔が再生するというサイクルを150年にわたり繰り返しています。

周辺環境

三原山を取り囲むカルデラ壁の標高は約600~700mで、その外側の山腹には数多くの側火山が点在しています。カルデラ内の溶岩流やスコリア、玄武岩の溶解物が積み重なり、独特の地形が形成されています。

砂漠の風景

三原山周辺には、溶岩流が形成した表砂漠や裏砂漠と呼ばれる地域があります。これらの砂漠は火山性ガスの影響により、ほとんど植物が育たず、黒いスコリアが広がる荒涼とした景観が特徴です。表砂漠は1951年の噴火以前には砂に覆われており、観光用にラクダが飼育されていましたが、現在では溶岩が流れた後に苔が生育するなど、自然の変遷が見られます。

三原山の火山活動史

三原山は、約2万年前から現在までに100回前後の大噴火を繰り返してきたと考えられています。島民は古くから噴火を「御神火(ごじんか)」と呼び、火山を神聖視してきました。三原山の「三原」という名称は、噴火による溶岩や土石流の噴出を出産に例え、「御腹(みはら)」という言葉に由来しているとされています。

歴史的記録

伊豆大島における火山活動の記録は古く、1338年ごろの『竺仙録』には「大島は日々火を吹き出す」との記述が見られます。また、1552年の天文21年には、「御原より神火が出て島を焼いた」という記録が残されています。これが三原山に関する最古の記録とされています。

近代の大噴火

近代においても、三原山はたびたび噴火を起こしており、1684年から1690年にかけての噴火や、1777年の噴火が大きなものとして知られています。これらの噴火では、溶岩がカルデラを越えて流出し、島民に多大な影響を与えました。

1950年~51年の噴火

1950年から1951年にかけての噴火では、三原山の最高峰がそれまでの「剣ガ峰(けんがみね)」から「三原新山」へと変わりました。噴火後、溶岩はカルデラ内に流れ込み、新たな地形を形成しました。この噴火により、大島町は避難指示を行い、後にこの経験が1986年の噴火時の避難対策に活かされました。

1986年の噴火

1986年11月15日、三原山は再び噴火しました。この時の噴火は大規模で、溶岩がカルデラ外に流れ出し、元町集落に迫りました。この噴火により、大島全島民が避難を余儀なくされ、政府や海上保安庁、海上自衛隊が救援に駆けつける大規模な救出作戦が展開されました。最終的に、全島民および観光客が無事に避難し、1か月後には島民の帰島が許可されました。

三原山の観光

現在、三原山は観光地として多くの人々に親しまれています。火口を間近に見ることができる遊歩道が整備されており、溶岩に覆われた広大な景色を楽しむことができます。また、晴れた日には遠く伊豆諸島や富士山を望むことができ、自然の雄大さを感じられるスポットとなっています。

観光のポイント

三原山へのアクセスは、伊豆大島の元町港や岡田港からバスで約30分程度で到着します。火山活動の力強さを肌で感じることができる観光名所として、多くのハイカーや観光客が訪れる人気の場所です。季節ごとに異なる景色や動植物の変化も楽しむことができ、自然を満喫する絶好の機会となるでしょう。

Information

名称
三原山
(みはらやま)

伊豆七島・小笠原

東京都