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大神山神社(東京都)

(おおがみやま じんじゃ)

大神山神社は、東京都小笠原村父島に位置する歴史ある神社です。豊かな自然に囲まれたこの神社は、父島の中心部である大村集落の裏手にある大神山の山腹にあり、大神山公園にも隣接しています。

概要

大神山神社は父島の文化と歴史の一端を担っており、島の守護神として広く親しまれています。神社は大神山公園の一部としても機能しており、美しい自然環境の中で参拝者を迎え入れています。

歴史

創建の由来

1593年(文禄2年)、徳川家康の意を受けて南海探検に出た家臣の小笠原貞頼により小笠原が発見されました。このとき、父島には「大日本天照皇大神宮の地」と記された標柱が建てられたと伝えられています。1675年(延宝3年)、長右衛門漂流事件を受け、調査のために島谷市左衛門らが父島を巡検した際、父島北岸の宮の浜に天照皇大神、誉田別命、天児屋根命の三柱を祀った守護神社が創建されました。

明治時代以降の発展

1876年(明治9年)に小笠原が日本領として国際的に認められ、日本人移民が定着する中で、1886年(明治19年)には大村集落に隣接する大根山に社殿が造営され、「大神宮」として奉られました。その後、1895年(明治28年)には現在の場所に社殿が移され、社名も「大神山神社」に改められました。1912年(大正元年)には村社に列格され、1941年(昭和16年)には郷社に昇格しました。

戦時中の影響と戦後の再建

太平洋戦争が激化する中、1944年(昭和19年)に小笠原島民の強制疎開が実施され、これに伴い本社も東京都芝区(現港区)の芝大神宮、次いで西多摩郡三田村(現青梅市)の御嶽神社に仮遷座しました。父島の社殿は戦争末期の1945年(昭和20年)に焼失し、その後、1946年(昭和21年)には府中市の八雲神社境内に社殿を造営し遷座されました。

その後、長らくアメリカ統治下にあった小笠原諸島が1968年(昭和43年)に日本へ返還され、旧島民の帰島が始まると、本社再建の声が高まりました。1972年(昭和47年)には東京都神社庁の斡旋で旧境内地に小社殿が造営され、28年ぶりに再び島に遷座しました。現在の社殿は1979年(昭和54年)に完成しました。

祭神

大神山神社では、天照皇大神、誉田別命、天児屋根命の三柱に加え、天之御中主命、大物主命の神々を合祀しています。

例大祭

大神山神社の例大祭は、毎年11月1日から3日間にわたって開催されます。主な催し物は相撲大会で、1日目に子供相撲、2日目に大人相撲が行われます。母島の住民や海上自衛隊硫黄島航空基地の隊員なども参加し、個人戦と団体戦で競います。3日目には神輿の巡行と住民による演芸大会(カラオケ)が催され、島全体が祭りの雰囲気に包まれます。

社務所の開所日時

社務所は「おがさわら丸」の二見港入港・出港に合わせて開所しており、御朱印や御守の授与もこの時間帯に行われます。入港日や出港日以外は基本的に開所していないため、訪れる際には船のスケジュールに合わせて参拝することが必要です。

その他の行事

毎年1月1日に父島で開催される「日本一早い海びらき」では、大神山神社の神職が海の安全を祈願する神事を執り行います。この行事は新年の恒例行事として地元住民や観光客に親しまれており、大神山神社の重要な役割の一つです。

Information

名称
大神山神社(東京都)
(おおがみやま じんじゃ)

伊豆七島・小笠原

東京都