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聖徳記念絵画館

(せいとく きねん かいがかん)

聖徳記念絵画館は、東京都新宿区の明治神宮外苑に位置する美術館で、明治天皇の生涯を描いた絵画を展示しています。歴史的・文化的に貴重な絵画が揃っており、神宮外苑の中心的な建物のひとつとして、多くの訪問者を迎えています。

概要

聖徳記念絵画館は、幕末から明治時代にかけての明治天皇の功績を描いた絵画を展示する施設で、宗教法人明治神宮の予算で維持管理されています。外部からの支援は一切受けていません。

歴史

建設計画と完成まで

明治天皇の崩御後、絵画館の建築計画が立ち上がりました。1919年(大正8年)、明治天皇の大喪儀が行われた旧青山練兵場の跡地で着工され、1926年(大正15年)に竣工しました。この建物は、明治神宮外苑の主要な目的の一つとして建設されたもので、現在でも当初のままの荘厳なドーム型建物を保っています。

絵画の奉納と展示開始

建物の完成後、絵画の製作が遅れ、1926年の竣工時には80点の壁画のうちわずか5点が奉納されただけでした。その後、1936年(昭和11年)に最後の5点が奉納され、明治神宮奉賛会総裁であった閑院宮載仁親王臨席の下で完成記念式典が行われました。翌年1937年(昭和12年)から一般公開が開始されました。

施設の修復と拡充

1968年(昭和43年)、明治維新100年を記念して、絵画館学園が開校され、絵画や陶芸を学ぶ施設が設けられました。さらに、1984年(昭和59年)からは5カ年計画で、傷んだ絵画の修復が行われ、1989年(平成元年)には、壁画の保護と永久保存を目的にミュージアムガラスのスクリーンが設置されました。

1990年(平成2年)からは夜間ライトアップが実施され、2003年(平成15年)には、東京都選定歴史的建造物に指定されました。また、2011年(平成23年)には、国の重要文化財に指定され、その歴史的価値が認められました。

建物の概要

建築の詳細

絵画館は鉄筋コンクリート造りの2階建てで、1919年(大正8年)に着工し、1926年(大正15年)に竣工しました。設計は小林正紹の案をもとに、佐野利器の指導の下で明治神宮造営局の高橋貞太郎がまとめ、後任の小林政一が完成させました。

建物の設計と意匠

外観は花崗岩で覆われ、中央には径15メートルのドームがあり、左右対称の構成となっています。内部は大理石やモザイクタイルを使用し、重厚でセセッション風の意匠が施されています。同時期に建設された明治神宮宝物殿とは対照的に、西洋の最新技術と意匠が取り入れられています。

重要文化財の指定

絵画館は2011年(平成23年)に国の重要文化財に指定されました。また、建物の裏手にある葬場殿趾円壇や、正面にある角池、丸池も重要文化財の附(つけたり)として指定されています。

イチョウ並木と景観

神宮外苑のイチョウ並木

明治神宮外苑の入り口でもある青山通りから絵画館にかけて、イチョウの並木が続いています。この並木は、1923年(大正12年)に植えられたもので、絵画館の荘厳さを高める遠近法を用いて設計されています。

景観の設計と評価

このイチョウ並木は、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」に選ばれており、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる名所となっています。1994年(平成6年)には、多くの映画やテレビドラマのロケ地としても使用されています。

展示絵画

展示されている作品の特徴

聖徳記念絵画館では、当代一流の画家たちが描いた、明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を描いた絵画が展示されています。日本画40点、洋画40点の計80点が年代順に展示され、日本史の教科書にも掲載されている有名な絵画も多く含まれています。

絵画の奉納と制作過程

展示されている絵画は、華族や国の機関、地方公共団体、民間企業などから奉納されたものです。奉納者は画題と縁故のある者が多く、例えば、大政奉還を描いた作品は江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜の孫が奉納しています。

また、絵画の支持体には特製キャンバスが推奨されましたが、和紙を選択することも可能であったため、和紙を使用した作品もいくつか存在します。これらの作品は、日本画の歴史においても重要な役割を果たしています。

交通アクセス

聖徳記念絵画館へのアクセスは、JR信濃町駅から徒歩10分、地下鉄外苑駅や青山一丁目駅から徒歩5分、車では首都高速外苑出口から5分で到着できます。駐車場は396台分が用意されており、1日1回1600円です。

Information

名称
聖徳記念絵画館
(せいとく きねん かいがかん)

新宿

東京都