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熊野神社(新宿区)

(しんじゅ くまの じんじゃ)

熊野神社は、東京都新宿区西新宿二丁目にある神社であり、新宿総鎮守として知られています。「十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)」や「新宿熊野神社」とも称されるこの神社は、新宿の歴史と深く結びついています。

神社の概要

所在地と概要

熊野神社は東京都新宿区西新宿二丁目に位置し、地域の守護神として崇められています。新宿区内の広範囲にわたる氏子町を持ち、新宿の総鎮守として長い歴史を持つ神社です。

神社の由緒

熊野神社は、室町時代に紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建されたと伝えられています。鈴木九郎は、代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔であり、中野郷と角筈村一帯の土地を開拓して財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていました。創建年は一説には1403年(応永10年)とされ、鈴木九郎が熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといわれています。

この神社の周辺地域は「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれており、これは熊野神社が祀った十二所権現に由来します。十二社という地名は現在でも通り名(十二社通り)や温泉(新宿十二社温泉)に残されています。ただし、異説もあり、天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったとする説もあります。

江戸時代からの歴史

江戸時代には、熊野神社の境内には大きな滝があり、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池が存在しました。これにより、江戸近郊の景勝地として知られ、多くの人々が訪れる場所となっていました。江戸時代には「熊野十二所権現社」と呼ばれ、遊興地として親しまれていた場所でした。

明治維新後、神社は「熊野神社」と改称され、櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が祭神として祀られています。神社は新宿の総鎮守として西新宿や新宿駅周辺、歌舞伎町を含む広範囲の地域を氏子町とし、多くの信仰を集めています。

角筈十二社の歴史と文化

江戸時代の角筈十二社

角筈十二社は、現在の西新宿四丁目あたりに存在していました。そこには「大滝」と呼ばれる滝や大きな池があり、『名所江戸百景』などにも描かれるほど、江戸時代からの名所として知られていました。この地域は江戸時代から遊興地として発展し、明治以降も花柳界で有名な場所となり、池の周りには料亭や茶屋が立ち並びました。しかし、その池も昭和43年(1968年)に埋め立てられ、現在はその姿を見ることはできません。

角筈十二社に関連する文化財

熊野神社に関連する文化財としては、以下のようなものが挙げられます:

広重「名所江戸百景」に描かれた熊野十二社

熊野十二社は、広重の「名所江戸百景」に描かれ、特に十二社池が描かれた作品が有名です。

十二社の碑

嘉永4年(1851年)に建てられた十二社を紹介する記念碑であり、新宿区の指定史跡となっています。

七人役者図絵馬

安永2年(1773年)に奉納された絵馬で、製作者は浮世絵師の一筆斎文調です。これは新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されています。

式三番奉納額

宝暦14年(1764年)作と弘化4年作(1847年)の二つの奉納額があり、江戸三座のうち、市村座における式三番の模様を描いたものです。これも新宿区指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。

水鉢

文政3年(1820年)に奉納された水鉢であり、狂歌師・大田南畝の書による銘文があります。こちらも新宿区指定有形文化財(工芸品)として保存されています。

熊野神社の祭事と氏子地域

主要な祭事

熊野神社では、以下のような祭事が年間を通じて行われています:

氏子地域

熊野神社の氏子地域は、新宿区西新宿一丁目から五丁目(各全域)、六丁目11~26、歌舞伎町一丁目(新宿ゴールデン街一帯を除く)、新宿三丁目(15・17番の各一部、18番から29番、31番の一部、33番から38番、旧角筈一丁目)などが含まれます。

交通アクセスと周辺施設

交通アクセス

熊野神社へは、以下の交通手段を利用して訪れることができます:

周辺施設

熊野神社の周辺には、新宿中央公園や警視庁新宿警察署熊野神社前交番などがあり、さらに十二社通りも神社の西側を通っています。都営地下鉄大江戸線が神社の敷地の地下を通っており、東放学園アトリエクマノが北西に位置しています。

Information

名称
熊野神社(新宿区)
(しんじゅ くまの じんじゃ)

新宿

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