明治神宮外苑は、1926年に完成した東京都新宿区霞ヶ丘町と港区北青山にまたがる広大な洋風庭園です。スポーツ・文化施設や緑地、公園などが整備された一帯であり、全体の66.2%を明治神宮が保有し、管理しています。通常は略して「神宮外苑」と呼ばれることが多く、さらに「外苑」と略されることもあります。
明治神宮外苑の土地は、元々青山練兵場であり、ここで1912年に明治天皇の大喪の礼が行われました。明治天皇の陵墓が伏見桃山に造営されることが決定した後、東京にも明治天皇を記念する施設を建設する声が高まりました。これを受けて、青山練兵場跡地が明治神宮の外苑として整備され、1926年に奉献されました。
当初の計画では、聖徳記念絵画館、憲法記念館、陸上競技場、葬場殿址記念物の4施設が設置される予定でしたが、後にスポーツ熱の高まりに伴い、野球場や相撲場、水泳場なども追加されました。全国からの献金や勤労奉仕によって多くの樹木が植えられ、外苑は完成に至りました。
第二次世界大戦後、1945年9月18日から神宮外苑は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、1952年3月31日に返還されました。接収期間中、明治神宮球場は「ステートサイド・パーク」と改名され、進駐軍専用の野球場として使用されました。
返還後、東京都は外苑地区を都市計画法に基づき風致地区に指定し、緑地の保全を図りました。現在、明治神宮外苑は広く国民に開放され、都心における大規模な緑地として親しまれています。特に、外苑中央広場南側の四列のイチョウ並木は、東京を代表する景観の一つです。
明治神宮外苑には、聖徳記念絵画館、明治神宮野球場、秩父宮ラグビー場などの主要施設があります。これらの施設は、スポーツイベントや文化行事の会場として使用され、特に毎年夏に行われる神宮外苑花火大会は、多くの観光客を魅了します。
また、外苑には全国からの献木により植えられたイチョウ並木があり、秋には美しい黄葉が見られます。これらの施設と自然環境が一体となって、訪れる人々に四季折々の風景を提供しています。
明治神宮の内苑は、日本風の神社施設や庭園が広がる一方で、外苑は西洋風のデザインが特徴的です。内外苑はかつて三列の銀杏並木や乗馬道を含む道路で結ばれていましたが、現在では首都高速4号線が敷設されています。
明治神宮外苑にある神宮球場や秩父宮ラグビー場などの施設は老朽化が進んでおり、耐震性の問題も抱えています。明治神宮はこれらの施設の建て替えや外苑全体の再開発を計画していますが、再開発に必要な費用は約3490億円と巨額であり、宗教法人である明治神宮には大きな負担となっています。
再開発計画では、三井不動産や伊藤忠商事、日本スポーツ振興センターと連携し、ドーム型スタジアムの建設や高層ビルの新設、災害対策を兼ねた公園の整備が予定されています。これにより、外苑の機能を強化し、次世代に向けた新たな都市空間を創出することが目指されています。
2024年に着工し、2036年の完成を目指すこのプロジェクトは、外苑全体を再活性化させ、地域社会に新たな価値を提供することを目標としています。