祭神と信仰
主祭神
赤城神社の主祭神は岩筒雄命(いわつつおのみこと)であり、火の神・迦具土神から生まれた神とされています。また、経津主神の親神でもあります。
相殿神
相殿には赤城姫命(あかぎひめのみこと)が祀られており、一説によると神社を創建した大胡氏の息女と伝わります。彼女は神社の別当寺であった東覚寺の本地仏でもありました。
赤城神社の由緒と移転の歴史
鎌倉時代からの創建
赤城神社は、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治が、正安2年(1300年)に牛込早稲田の田島村に勧請して創建したと伝わります。
江戸時代以前の移転
その後、江戸城を築城した太田道灌によって寛正元年(1460年)に牛込台へ、さらに弘治元年(1555年)には大胡宮内少輔によって現在地へと移転されました。
江戸時代の信仰と格式
江戸幕府の保護を受け、江戸大社の一つとして列し、牛込の総鎮守として多くの人々に親しまれました。『江戸名所図会』にも「赤城明神社」として記載され、創建者が大胡重泰であったことや、別当寺が天台宗の東覚寺であることが記されています。
赤城神社の年表
- 1300年(正安2年):創建。
- 1460年(寛正元年):牛込台に遷座。
- 1555年(弘治元年):現在地に遷座。
- 1683年(天和3年):江戸大社に列する。
- 1842年(天保13年):火災で社殿全焼。後に再建。
- 1868年(明治元年):赤城神社に改称。
- 1873年(明治6年):郷社に列する。
- 1876年(明治9年):北野神社を境内社に。
- 1945年(昭和20年):戦災により社殿全焼。
- 1951年(昭和26年):本殿再建。
- 1959年(昭和34年):拝殿・幣殿再建。
- 1962年(昭和37年):出世稲荷神社再建。
- 2005年(平成17年):蛍雪天神として北野神社を再興。
- 2008年(平成20年):赤城幼稚園閉園。
- 2010年(平成22年):再生プロジェクト完成。
- 2011年(平成23年):グッドデザイン賞受賞。
再生プロジェクトと現代建築の融合
神社再生の経緯
老朽化と経済的困難により、再建が困難とされていた赤城神社ですが、「赤城神社 再生プロジェクト」によって再生への道が開かれました。幼稚園閉園後の跡地活用として、三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を取得。敷地内には分譲マンションやホール、ギャラリーなどを併設し、地代や賃料収入を神社の運営資金としています。
建築デザインと協力者
デザイン監修は地元神楽坂在住の建築家・隈研吾が担当。神社の伝統と調和する意匠がマンションにも施され、既存樹木の保存も図られました。この新たな神社の姿は2011年度のグッドデザイン賞(住宅部門・ビジネスソリューション部門)を受賞しています。
未来への構想
将来的には定期借地権の期間終了後にマンションを解体し、神社の杜として再生される予定です。都市と信仰の新しい形を模索したこのプロジェクトは、全国の神社再生にも一つの指針を与えるものでしょう。
境内社の紹介
出世稲荷神社
祭神:宇迦御魂命、保食命。牛込赤城元町の鎮守として親しまれています。
蛍雪天神
祭神:菅原大神。戦災で焼失した北野神社を旺文社の寄付により再興。名称は『螢雪時代』に由来し、受験生の合格祈願の神社として信仰を集めています。
神楽坂と赤城神社の魅力
神楽坂は、石畳の路地と歴史的な街並みが残る情緒豊かなエリアであり、赤城神社はその象徴的存在です。近代的な建築と伝統的な神社が共存する様子は、訪れる人々に新しい都市の価値を伝えています。
交通アクセス
- 東京メトロ東西線 神楽坂駅1b出口 徒歩1分
- 都営大江戸線 牛込神楽坂駅 A2・A3出口 徒歩6分
- 東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅 A4出口 徒歩7分
- JR中央・総武線 飯田橋駅 B3・C1出口 徒歩9分
都市と伝統が調和する赤城神社は、神楽坂観光の際にはぜひ立ち寄りたいスポットの一つです。