須賀神社は、東京都新宿区須賀町に鎮座する神社で、江戸時代には四谷総鎮守の天王様として地域住民から篤い信仰を集めてきました。その起源は寛永11年(1634年)に遡り、旧社格は郷社です。神社の神紋は「抱き稲に左三つ巴」です。
須賀神社の創建は、寛永11年(1634年)に赤坂一ツ木村(一ツ木)の清水谷にあった稲荷神社を、江戸城外堀の普請に伴い、四谷に遷座したことに始まります。これにより、四谷総鎮守として信仰を集め、江戸時代には「稲荷山宝蔵院天王社」や「四谷牛頭天王社」などの名で呼ばれていました。
寛永14年(1637年)には、日本橋大伝馬町の鎮守であった神田明神の摂社(天王二ノ宮)に祀られていた牛頭天王を合祀し、更なる信仰の拡大を遂げました。江戸時代の『江戸名所図会』や『御府内備考続編』にも、その壮大な規模と多くの堂宇、社祠が記録されています。
明治元年(1868年)の神仏分離令により、須賀神社は大きな転機を迎えます。これに伴い、別当寺であった宝蔵院は廃寺となり、社号も変更されました。しかし、天王坂や天王横丁などの地名に、その歴史的背景が今なお残されています。
須賀神社には、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている「三十六歌仙絵」が所蔵されています。この絵は天保7年(1836年)に大岡雲峰が絵を描き、千種有功が書を手掛けたもので、当時の文化的価値を今に伝える重要な遺産となっています。
須賀神社の相殿には、大鳥神社(祭神:日本武命、天日鷲大神、大鳥連祖大神)や大国社(祭神:大国主命)が祀られています。また、摂社として天白稲荷神社があり、こちらには倉稲魂大命を主祭神として、多くの神々が祀られています。
須賀神社では、一年を通じて多彩な祭事が行われています。以下に代表的な行事を挙げます。
須賀神社の氏子地域は広範囲にわたり、新宿区内の以下の地域が該当します。
須賀神社へのアクセスは以下の通りです。
須賀神社は、長い歴史と豊かな文化を誇る神社であり、新宿区の中でも特に重要な存在です。その多彩な行事や、地域に根付いた信仰は、今もなお多くの人々に親しまれています。歴史を感じさせる境内を訪れ、ぜひその魅力を体感してみてください。