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新宿末廣亭

(しんじゅく すえひろてい)

新宿末廣亭は、東京都新宿区新宿三丁目に位置する、由緒ある寄席です。新宿末廣亭は、都内に4軒存在する落語定席の一つで、主に落語を中心に、漫才や俗曲などの色物芸が演じられています。「色物」という言葉は寄席に由来し、末廣亭の外に掲げられた提灯の中には「末広亭」と書かれたものも見られます。

新宿末廣亭の歴史

創業から戦後復興まで

1897年(明治30年)に創業した新宿末廣亭は、もともとは「堀江亭」という名前で営業していましたが、1910年(明治43年)に名古屋の浪曲師、末広亭清風によって買い取られ、現在の「末廣亭」としての歴史が始まりました。当初は浪曲席として営業しており、現在地よりもやや南寄りの区画に立地していました。しかし、1921年(大正10年)3月の新宿大火で類焼し、その後、復興事業による区画整理に伴い現在の場所に移転しました。

昭和時代の発展

1932年(昭和7年)に日本芸術協会の発足に伴い、落語定席としての地位を確立しました。第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)に焼失しましたが、北村銀太郎氏の尽力により1946年(昭和21年)3月に再建されました。1951年(昭和26年)には株式会社新宿末廣亭が設立され、1955年(昭和30年)には二階席が増設されるなど、発展を遂げました。

テレビ時代の到来とその後

1961年(昭和36年)には「お笑い演芸館」でテレビ中継進出を果たし、その後も「日曜演芸会」、「末廣演芸会」などの番組が続きました。戦後から続いていた落語ブームが下火になった後も、若手二つ目の勉強の場として深夜寄席が継続され、現在でも人気を博しています。2003年(平成15年)9月には改装工事が行われ、椅子席の数を減らしてスペースをゆったりとし、トイレの近代化なども行われました。

新宿末廣亭の特徴と魅力

歴代の席亭

新宿末廣亭の歴史を支えた歴代の席亭について紹介します。初代席亭は1946年(昭和21年)から1983年(昭和58年)までの北村銀太郎氏で、再建の立役者でした。二代目席亭は北村氏の娘、杉田恭子氏で、1999年(平成11年)までの長い期間にわたり尽力されました。現在の四代目席亭は真山由光氏で、コロナ禍という未曾有の危機を乗り越えようと奮闘されています。

新宿末廣亭での初高座を踏んだ落語家たち

新宿末廣亭は、多くの名だたる落語家たちが初高座を踏んだ場所でもあります。例えば、二代目古今亭圓菊や林家木久扇、七代目柳亭燕路などが挙げられます。これらの落語家たちは、末廣亭での初高座をきっかけに、それぞれの道を歩んでいきました。

建物と設備の特徴

東京の定席としては唯一、木造の建物であり、寄席の伝統を色濃く残しています。客席は1階と2階合わせて計313席があり、趣のある造りが特徴です。高座の上には「和気満堂」という額が掛けられており、これは「和やかな気分が堂の中に満ちている」という意味を持っています。また、映画やドラマのロケ地としても頻繁に使用されており、その風情ある雰囲気は多くの人々に愛されています。

まとめ

新宿末廣亭は、歴史ある寄席として、多くの人々に笑いや感動を提供し続けてきました。新型コロナウイルスによる影響を受けつつも、新たな挑戦を続ける姿勢が、今後も末廣亭の魅力を引き立てることでしょう。ぜひ一度、足を運んでその雰囲気を体感してみてください。

Information

名称
新宿末廣亭
(しんじゅく すえひろてい)

新宿

東京都