戸山公園は、東京都新宿区に位置する都立公園です。公園は明治通りを境に、大久保地区(西側)と箱根山地区(東側)に分かれており、戸山二丁目・三丁目と大久保三丁目にまたがる形で広がっています。
戸山公園の歴史は江戸時代に遡ります。当時、この一帯は尾張藩徳川家の下屋敷がありました。2代藩主徳川光友は、この地に「戸山荘」または「戸山山荘」と呼ばれる回遊式庭園を造営しました。庭園内には、箱根山に見立てた築山「玉円峰」や、東海道の小田原宿を模した建物など、二十五景が巧みに配置されていました。これらの景観は、11代将軍徳川家斉が訪れたこともあり、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ、名だたる大名庭園として名を馳せました。
しかし、庭園はその後、度重なる火災や水害によって荒廃し、尾張藩の財政難も影響して復興されることはありませんでした。明治維新後、戸山荘は明治政府に引き渡され、1873年(明治6年)には陸軍戸山学校がこの地に開校しました。さらに、太平洋戦争終結まで、ここは陸軍軍医学校や練兵場などとして利用されました。戦後、これらの軍事施設はすべて廃止され、跡地には1949年(昭和24年)から戸山ハイツの建設が始まりました。そして、1954年(昭和29年)には敷地の一部が整備され、現在の「戸山公園」として開園しました。
現在の戸山公園は、地域住民や訪れる観光客にとって重要な憩いの場となっています。公園内には遊具や広々とした緑地スペースが設けられ、特に標高44.6mの箱根山は訪れる人々に人気のスポットです。この人工の山は、江戸時代に造られた築山であり、山手線内で最も高い地点に位置します。さらに、箱根山からは西新宿の高層ビル群を一望できる絶好のロケーションが楽しめます。
毎年10月の体育の日には、穴八幡宮の伝統行事として、新宿区指定無形民俗文化財に指定されている「流鏑馬」が開催されます。この行事では、穴八幡宮から戸山公園までの行列が盛大に練り歩き、大勢の観客が集まる賑やかなイベントとなります。また、箱根山付近には多くの桜が植えられており、春には花見の名所としても知られています。
箱根山(はこねやま)は、東京都新宿区戸山二丁目に位置し、山手線内で最も標高が高い人工の山(築山)です。その起源は江戸時代にまで遡り、元々は尾張藩徳川家の下屋敷「戸山荘」の一部として整備された回遊式庭園の中に築かれました。この築山は「玉円峰(ぎょくえんぽう)」として知られ、池を掘った際の残土を積み上げて造成されたものです。
陸軍戸山学校がこの地に設置された後、「函根山」や「箱根山」としてその名が広まりました。標高は44.6メートルであり、山頂からは南西方向に西新宿の高層ビル群を望むことができます。また、登山道も整備されており、麓から登頂までの時間は約5分と手軽に登れることから、地元の住民や観光客に人気です。
箱根山の登山は、四季折々の自然を楽しめるアクティビティとして親しまれています。戸山公園内のサービスセンターでは、登頂証明書を発行してもらえるサービスがあり、多くの人が挑戦しています。山頂にはベンチが設置されており、休憩しながら美しい風景を堪能することができます。
また、2018年4月22日には、初の「つつじまつり」が開催され、地域の人々や観光客に広く親しまれました。公園内の豊かな自然環境と調和するイベントが定期的に開催されることで、戸山公園はますます魅力的なスポットとして進化を続けています。
戸山公園には、遊具や緑地スペースがあり、また標高44.6mの箱根山があります。この箱根山は江戸時代に築かれた人工の山で、山手線内では最も高い地点となっています。
戸山公園の周辺には、戸山ハイツをはじめとする団地や、大学、高校などの文教施設が立ち並んでいます。また、社会体育館や障害者センターといった公的な施設も多く、地域住民の日常生活を支えています。これらの施設の多くは、かつて軍事施設があった場所に建設されており、歴史の変遷を感じさせるエリアでもあります。
毎年10月の体育の日には、穴八幡宮の伝統行事であり、新宿区指定無形民俗文化財に指定されている流鏑馬が開催されます。当日は、穴八幡宮から戸山公園まで行列が練り歩き、多くの観客で賑わいます。また、箱根山付近は桜の名所としても知られ、春には花見のスポットとして人気があります。
大久保地区と箱根山地区のいずれも常時開園しており、入場は無料です。
戸山公園を舞台にした小説として、西山ガラシャの『公方様のお通り抜け』(日本経済新聞出版社 2016年)が挙げられます。この作品は、第7回(2015年)日経小説大賞を受賞し、尾張藩徳川家下屋敷「戸山荘」の造園をテーマにした時代小説です。