宝仙寺は、東京都中野区中央二丁目に位置する真言宗豊山派の寺院です。中野区内でも特に広大な敷地を持ち、千年近くの歴史を誇る古刹です。山号は「明王山(みょうおうざん)」で、戦前には中野町役場も置かれていました。著名人の葬儀・告別式が多く執り行われることで知られ、また、節分には僧兵行列が行われるなど、伝統的な行事が続けられています。
『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は源義家によって創建されたと伝えられています。後三年の役の際、義家が護持していた不動明王像を安置するために建立されたとされ、創建当初は現在の杉並区・阿佐ヶ谷にありました。その後、宝仙寺は大宮八幡宮の別当寺として機能しました。鎌倉時代には本尊が秘仏とされ、室町時代には現在の中野区に移転しました。
江戸時代には、多くの優れた僧を輩出し、歴代将軍からの厚い保護を受けて大いに発展しました。当時の宝仙寺の僧侶たちは将軍の御前論議にも参加し、また将軍家が鷹狩りに出た際の休憩所としても利用されました。
1906年(明治39年)には中野町役場が境内に建てられ、1932年(昭和7年)10月には中野区が発足し、初代中野区役所としても使用されました。しかし、1936年(昭和11年)に区役所は現在の中野郵便局の場所へ移転しました。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)には戦禍により大伽藍が焼失しましたが、戦後に再建され、現在は三重塔や本堂などの建築を見ることができます。
三重塔は江戸六塔の一つで、寛永13年(1636年)に建立されましたが、1945年の空襲で焼失しました。平成4年(1992年)に法起寺三重塔を模した飛鳥様式の純木造建築として再建され、塔内には胎蔵界五仏が安置されています。
境内にはかつての中野町役場の跡を示す石碑があります。これは明治時代から昭和初期にかけて中野町役場および区役所が境内にあったことを示しています。
山門には阿・吽の一対の仁王像が納められています。これは訪れる人々を護る役割を果たしています。
宝仙寺の檀家総代を務めていた堀江家は平安時代から中野一帯を開拓していた草分けの地主でした。現在では断絶していますが、その墓は今も大切に守られています。
享保13年(1728年)、徳川吉宗の命により江戸幕府で飼育されていた象が、中野村の百姓源助に払い下げられ、その骨と牙が宝仙寺に納められました。この象の骨は『江戸名所図会』にも「馴象之枯骨」として紹介されていますが、太平洋戦争の戦災により一部が失われました。
寺号の由来となった宝珠を祀った祠です。
鎌倉時代の作と推定される無銘五輪塔は、古雅で重厚な風格を持っています。
本堂には鎌倉時代の不動明王を中心に五大明王像が安置されています。
大書院は寺務室として使用されるほか、仏事や法要の場としても利用されます。
御影堂は弘法大師の尊像が安置されているお堂です。
宝仙寺には珍しい見送り地蔵と六地蔵が並んでいます。
臼塚は供養のための石臼を積み上げたもので、頂上のものはかつて甘酒をすった石臼です。
大師堂は教化活動のためのお堂です。
鐘楼は、訪れる人々に時を告げる役割を果たしています。
住所:〒164-0011 東京都中野区中央2-33-3
交通アクセス:丸ノ内線・大江戸線「中野坂上駅」2番出口より徒歩5分、または都営バス「宝仙寺前」より徒歩1分
拝観時間:日中の時間帯のみ無料
駐車施設:60台収容(葬儀利用のみ)