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井草八幡宮

(いぐさ はちまんぐう)

井草八幡宮は、東京都杉並区善福寺に位置する八幡神社で、別表神社として知られています。この神社は、地域の信仰の中心として多くの人々に親しまれており、歴史的な背景と豊かな自然環境が魅力です。

概要

井草八幡宮は青梅街道と早稲田通りに面しており、都内でも有数の広大な社叢(しゃそう)を誇ります。この地域一帯はかつて「遅野井(おそのい)」と呼ばれており、明治時代までは「遅野井八幡宮」とも称されていました。

起源と歴史

井草八幡宮は、縄文時代から祀られていたとされており、神社としての形態が整えられたのは平安時代末期(794年~1185年)と伝えられています。当初は春日社を祀っていましたが、源頼朝が奥州征伐の戦勝祈願を行ったことで、八幡大神(やはたのおおかみ)を主祭神とするようになりました。

源頼朝が文治5年(1189年)に起請し、その霊験を得たとされる老松「天然記念物-井草八幡の松」は、高さ約40メートルにも達していましたが、1973年(昭和48年)に枯れてしまいました。現在、その樹根の一部が井草八幡宮の回廊に飾られています。また、井草八幡宮はアニメ〈物語〉シリーズに登場する北白蛇神社のモデルにもなっています。

祭神

井草八幡宮の主祭神は八幡大神(応神天皇)です。この神は、戦の守護神として広く信仰されており、源頼朝の時代から多くの武将に崇敬されてきました。

神門と拝殿

歴史

井草八幡宮がある地には、縄文時代から人々が生活しており、平安時代末期に神社としての形態が整えられました。当初は春日神を祀っていましたが、源頼朝が奥州討伐の際に八幡神を合祀し、戦勝を祈願しました。これがきっかけで、後年、春日社が末社として奉斎されるようになりました。

また、文明9年(1477年)には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻める際に戦勝祈願を行ったと伝えられています。江戸幕府の三代将軍である徳川家光も、寺社奉行の井上正利に命じて社殿を造営させ、慶安2年(1649年)には朱印領六石を寄進しました。以降、幕末に至るまで歴代の将軍から朱印地の寄進が続きました。

その時代、氏子崇敬者によって石燈篭、石鳥居、狛犬、手水盤などが奉献され、明治以降も氏子崇敬者の手によって社殿の改修や増築が繰り返されました。同時に植林も行われ、現在の豊かな社叢が形成されました。

境内

井草八幡宮の境内には、文華殿(宝物館)、民俗資料館、幼稚園が設置されています。これらの施設は、地域の文化や歴史を後世に伝える重要な役割を果たしています。

文化財

井草八幡宮には、縄文時代の「顔面把手付釣手形土器」が所蔵されています。この土器は、杉並区井荻三丁目(現・杉並区善福寺)で出土したもので、重要文化財に指定されています。

氏子地域

井草八幡宮の氏子地域には、善福寺一丁目から四丁目、上井草一丁目から四丁目、今川一丁目から四丁目、桃井一丁目から四丁目、清水一丁目の一部、二丁目から三丁目、井草一丁目から五丁目、下井草一丁目の一部、二丁目から五丁目、上荻四丁目の一部、西荻北四丁目全域、三丁目・五丁目の一部、本天沼二丁目・三丁目の一部が含まれます。

交通アクセス

井草八幡宮へのアクセスは、JR中央本線の西荻窪駅から徒歩18分、西武新宿線の上石神井駅および上井草駅からそれぞれ徒歩21分です。また、関東バスの荻30・荻32・荻34・荻36系統で「井草八幡宮」停留所、西01・西02・西03(西03は西武バスと共同運行)の各系統で「桃井第四小学校」停留所を利用することができます。

Information

名称
井草八幡宮
(いぐさ はちまんぐう)

中野・荻窪

東京都