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中野ブロードウェイ

(Nakano Broadway)

サブカルチャーの聖地

中野ブロードウェイ(正式総称:コープ・ブロードウェイ・センター)は、東京都中野区中野五丁目にある複合ビルであり、日本初のショッピングセンターと集合住宅の集合体建築として知られています。

歴史

開業までの経緯

中野ブロードウェイの現在の敷地は、かつて木造家屋が密集する地域でした。中野駅北口から続く商店街(旧:中野北口美観商店街、現在の中野サンモール商店街)が行き止まりになっていたため、地元の有志がビルを建設し、1階に早稲田通りに抜ける広い通路を作ろうと計画しました。この「広い通路」から「ブロードウェイ」という名称が生まれました。

しかし、資金難のため事業は頓挫し、開発は東京コープ販売に引き継がれました。同社は過去に「渋谷コープ」や「エンパイア・コープ」、「コープオリンピア」といった高級マンションを手掛けていましたが、資金難に苦しみながらも中野ブロードウェイの開発を進めました。

建設の困難と完成

東京コープ販売の資金難、地元商店街の反対、乃木希典ゆかりの土地の買収問題など、建設には多くの困難がありました。しかし、1966年(昭和41年)、中野駅北口開発の一環として、中野サンモール商店街に続くショッピングコンプレックス(商業住宅複合施設)として中野ブロードウェイは開業しました。

当初の計画である「広い通路」を貫き通すことは失敗しましたが、ビルの建設事業費は60億円と当時としては破格でした。このため、設計者で建築家の馬場信行により、大幅な設計変更が行われました。共用スペースを最小限に抑え、建物の効率性を重視した結果、エレベーターの位置がわかりにくく、廊下が複雑に折れ曲がるなどの特徴が生まれました。

「サブカルチャーの聖地」としての進化

サブカルチャーとの結びつき

「サブカルチャーの聖地」というフレーズが定着したのは1980年代以降です。当初、中野ブロードウェイは食品・服飾・雑貨・宝飾品販売店、食堂、理美容室、町医者、書店、占い業といった多様な小売・サービス業が中心でした。しかし、1980年代後半から1990年代にかけて、中野周辺の商圏が発展し、集客力が低下する中で、店舗の閉店が相次ぎ、建物は一時「負のスパイラル」に陥りました。

「まんだらけ」の登場とサブカルチャーの発展

この状況を逆手に取って新たなビジネスを展開したのが、「まんだらけ」です。1980年にわずか2坪の店舗からスタートした「まんだらけ」は、中古漫画の専門店として開業し、漫画周辺商材やアニメグッズなども扱うようになりました。その後、店を拡大し、中野ブロードウェイ内でサブカルチャーの殿堂とされる存在となりました。

1990年代には「まんだらけ」に呼応する形で、他のマニア向け専門店が次々に開業し、ついには「サブカルチャーの聖地」として広く知られるようになりました。現在では国内外から多くの客が訪れる人気のスポットとなっています。

現代の中野ブロードウェイ

この変化により、中野ブロードウェイは再び賑わいを取り戻しました。サブカルチャーの店舗と従来の商店街ライクな店舗が共存する形で発展し、新たなテナントも次々に入居しています。また、コロナ禍の収束とともに、周辺の再開発が進む中で、さらなる活気を見せています。

「時計の聖地」としての中野ブロードウェイ

時計店の集積地

中野ブロードウェイは、「サブカルチャーの聖地」としてだけでなく、「時計の聖地」としても注目されています。約6千750平方メートルのフロアに13店舗の腕時計販売店が密集しており、外国人観光客も多く訪れるエリアです。

主な時計店

最も古い店舗の一つである「ジャックロード」は1987年から営業しており、在庫数は5千点以上を誇ります。他にも「かめきち」「CHEESE PENNE」「れんず」「ONOMAX」「Good Watch」「BELLE MONDE」など、個性豊かな時計店が立ち並んでいます。

こうした背景から、中野ブロードウェイは、時計愛好家にとっても特別な場所となっています。

まとめ

中野ブロードウェイは、その歴史的背景とともに、「サブカルチャーの聖地」や「時計の聖地」としての二重の顔を持つ、東京を代表する複合ビルです。建物の内部はさまざまな業態の店舗が混在し、活気ある雰囲気を保ち続けています。現在もその独特な魅力で、多くの人々を引き寄せています。

Information

名称
中野ブロードウェイ
(Nakano Broadway)

中野・荻窪

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